60年安保私観

 60年安保闘争については、非民主主義的な政権を打倒した民衆の政治運動だとして、民主主義的な観点からこれを評価する声もある。

その評価の妥当性についてはここでは触れないが、闘争の本来の目的であった安全保障の問題に関していえば、あの運動は戦後日本の一種の通過儀礼(イニシエーション)だったのではないかと思う。

 戦後ある時期までの日本人は、思想的に右であるか左であるかを問わず、自国が他国の占領下・従属下にあることに対して鬱屈した気持ちをもっていたのではないか。

そして、従属状態を脱したいという気持ちと、それが限りなく困難であるという現実の板挟み状態の中で、ジレンマに陥っていたのではないか。

 60年安保闘争は、アメリカの従属状態を脱するという困難な夢を追い求めるのはやめにして、日本がアメリカの従属状態にあるということを所与の前提として受け入れ、その中で経済発展だけを追い求める、そのような方針転換をするための儀礼行為だったような気がする。

 アメリカ相手に(実際には日本の政府相手だが)、勝ち目のない、はじめから敗北することが分かり切っているささやかな抵抗運動を試み、そしてその運動が予想通り敗北したことによって、その後の多くの日本人は、アメリカの従属状態を脱しようなどという大胆なことは想像もしなくなり、それ以前に、日本がアメリカの従属状態にあるということすら意識しなくなったのではないか。

一部の右翼や左翼の唱える反米的な主張は、多くの人の平和で安定した日常生活を脅かすものとなり、人々から忌避されるようになったのだと思う。

 60年安保闘争から10年後、三島由紀夫が命を投げ出して訴えた日本の自立・独立の主張は、高度成長の恩恵に浴した多くの国民にとっては、滑稽なものとしか映らなかったのだろう。

(ちなみに、私自身も三島由紀夫に賛同しているわけでも共感しているわけでもなく、どちらかといえば冷やかな感情をもっているほうである。)

だが、今後、アメリカの従属状態から脱しようという動きが本格化したときには、三島由紀夫の自決行為があらたに解釈しなおされ、再評価されるかもしれない。

靖国問題の争点

 本文章は、三土修平氏の『靖国問題の原点』(日本評論社)に影響を受け、三土氏の問題提起を継承する形で執筆しています。

 

○はじめに ― 戦死者の弔い方について

 靖国神社の問題を議論するさいは、「戦死者に国家・政府がどのように対処すべきか」というより大きな問題を考察したうえで論じる必要がある。

「戦死者に国家・政府がどのように対処すべきか」については、大きくわけて3つの立場がある。

 

1 「英霊として顕彰すること」「国家・政府が国家機関(公的機関)で慰霊・追悼すること」ともに反対する立場。

2 「英霊として顕彰すること」には反対するが、「国家・政府が国家機関(公的機関)で慰霊・追悼すること」には賛成する立場。

3 「英霊として顕彰すること」「国家・政府が国家機関(公的機関)で慰霊・追悼すること」ともに賛成する立場。

 

 戦後の日本は、1の「英霊として顕彰すること」「国家・政府が国家機関(公的機関)で慰霊・追悼すること」ともに行わない方針をとっている。

 

  *補注

 3の「英霊として顕彰すること」を支持し、国家神道の復活を唱える人は、政教分離を規定した戦後の憲法は占領軍に押し付けられたものであり、日本人自身が望んで国家神道を否定したわけではないと考えているかもしれない。

アメリカに占領されなかったら、国家神道がそのまま継続した可能性が高く、国民の多数派が国家神道の廃止を選択するということはなかったかもしれない。

だが、戦後のある時期から(いつ頃からか正確なことはわからないが)、政教分離を規定した憲法は国民の多数派に支持されるようになり、国家神道を復活すべきと考える人は少数派になったといえる。

 

 1の方針を続ける場合は、現行憲法の下で靖国神社をどう位置付けるか、総理大臣の靖国神社公式参拝をどう考えるかといった点が論点となる。

 2の方針をとったときは、靖国神社からその宗教性(「国のため、天皇のために命を投げ出して戦死した人を、神・英霊として祀り顕彰する」という宗教性。以下、このような宗教性を「靖国イデオロギー」と表記する。)を剥奪し、靖国神社を戦死者を慰霊・追悼する施設へ根本的に改変したうえで、そこを国家機関(公的機関)とするという案。

靖国神社とは別に、戦死者を慰霊・追悼するあらたな国家施設を設立するという案などが考えられる。

 3の方針をとった場合、靖国神社とは別の施設で顕彰するという考え方もあるが、そのような主張をする人は極少数であり、この方針がとられた場合は政教分離を規定した憲法が改正され、国家神道が復活し、靖国神社で戦死者を神・英霊として祀ることになるだろう。

 

 ここ十数年の間は、総理大臣の靖国参拝に賛成か反対かといった点のみがメディア上で議論されているようにみえる。

だが、総理大臣の靖国参拝をどう考えるかという問題は、「戦死者に国家・政府がどのように対処すべきか」という論点もあわせて考えないと実りのある成果は望めないだろう。

 

靖国問題の争点

 靖国問題の争点には、次の3つのものがある。

1 国家神道の復活に賛成か反対か。

2 靖国神社を国家機関(公的機関)とするべきか。

3 総理大臣の靖国神社公式参拝を合憲とすべきか違憲とすべきか。

 

 靖国神社の問題は、上記3つの論点を個別に論じるよりも、3つの論点に対してどのようなスタンスをとるかを表明したうえで論じたほうが争点が明確になる。

以下、いくつかのタイプを提示し、それぞれどのような問題点があるかを論じていく。

 

タイプA 国家神道復活派

国家神道の復活に賛成

靖国神社を国家機関(公的機関)とする

・総理大臣の靖国神社公式参拝を合憲とする

 

完全な戦前回帰路線。右派・保守派の中でも極右的な立場の人々の考え。

この路線をとる場合は、政教分離を規定した憲法を改正する必要がある。

現時点ではこの路線を支持する人は少数派であり、実現するのは困難であろう。ただ、これから十年、二十年後にはこの路線を支持する人たちが多数派となる可能性もある。

 

なお、完全に戦前回帰した場合は、本人が、死後靖国神社に祀られることを望まない場合、遺族が、戦死した自分の家族が靖国神社に祀られることを望まない場合も、本人や遺族の意向を無視して強制的に靖国神社に祀られることになるが、本人や遺族が靖国神社に祀られることを望まない場合は、その意向を尊重し、本人や遺族が望んだ場合のみ靖国神社に合祀するという、自由主義的な方針をとりいれるケースも考えられる。

 

 

タイプB 靖国神社の根本変革派

国家神道の復活には反対

靖国神社を国家機関(公的機関)とする

・総理大臣の靖国神社公式参拝を合憲とする

 

靖国神社からその宗教性(「靖国イデオロギー」)を剥奪し、戦死者を慰霊・追悼する施設へと根本的に変革したうえで国家機関(公的機関)とする考え。

靖国神社からその宗教性を剥奪した場合でも、これを国家機関にすることが憲法違反になるのなら、憲法改正の手続きが必要となる。

 

 

タイプC 面従腹背路線

・(将来)国家神道を復活すべきと考えている

憲法改正が困難な間は、民間の一宗教法人の地位に甘んじる

・総理大臣の靖国神社公式参拝を合憲とする

 

タイプAの国家神道復活派が、憲法改正が困難な状況のなかでやむを得ずとっている立場。

国家神道を復活すべきと考える国民が多数派となり、憲法改正が可能となったときには、当然タイプAの国家神道復活派となるだろう。

三土修平氏の著作の中で論じられているように、国家神道が復活できなくなるのをおそれて、タイプBの「靖国神社の根本変革路線」に反対し、また、靖国神社以外の国立追悼施設の設立にも反対する立場だろう。

 

 

タイプD 現状維持派

国家神道の復活に反対

靖国神社は民間の宗教法人のままでいい

 

この立場は、総理大臣の靖国神社公式参拝の是非をめぐって2つに分かれる。

 

タイプDの1 総理大臣の靖国神社公式参拝合憲派

 

慰霊・追悼行為として総理大臣が公式参拝することは合憲とすべき、と考える立場。現行憲法でも「総理大臣の靖国公式参拝は合憲である」と考える人と、「現行憲法では違憲となる」、あるいは「裁判で違憲判決のでる可能性がある」ので、憲法改正を行い、違憲判決のでないようにすべき、と考える人にわかれるだろう。

 

タイプDの2 総理大臣の靖国神社公式参拝違憲

 

慰霊・追悼行為であっても、総理大臣の靖国公式参拝違憲とすべき、と考える立場。戦後憲法政教分離の規定を厳格に守るべき、とする立場だろう。

この立場の人が、タイプBの「靖国神社の根本変革」案や、あらたな国立追悼施設の設立案にどのような考えをもっているのかはわからない。

 

 

タイプE 靖国神社廃止派

国家神道の復活に反対

靖国神社は廃止すべき

 

この立場の場合、現に靖国神社に祀られている存在をどうすべきかをめぐって2つの立場にわかれるだろう。

1つは、あらたな追悼施設を設立し、そこに移行するという考え。

もう1つは、あらたな追悼施設は設立せず、現在祀られている存在は宙ぶらりんのままにするという考え。

ただ、この立場の人は、タイプAの「国家神道復活派」よりも数が少ないだろうから、武力クーデターでもおこらない限りこの路線が実現することはないような気がする。

 

○状況分析

 データ・資料等をもっていないので推測でしかないのだが、タイプDの現状維持派が多数派であり、その中で総理大臣の靖国公式参拝の是非をめぐって意見がわかれているというのが現状かもしれない。

 タイプAの国家神道の復活を支持する人たちは、数の上では少数派だが、一定の政治的影響力をもっているために、タイプBの靖国神社の根本変革路線は実現困難となっている(ただし、この方針に反対している人たちは、タイプAの国家神道復活派だけではないかもしれない)。

 また、国家神道の復活に賛成している人は現時点では少数派と思われるので(ただし、この10年位のあいだに数は急増している可能性もある)、国家神道の復活も今すぐには実現しないだろう。(ただし、これから十年、二十年後には実現されるかもしれない。私自身は国家神道の復活には反対の立場だが。)

 

 マスメディアにおいては、3つの争点を総合的に踏まえたうえで靖国問題を議論するということは行われていないので、結局、タイプDの現状維持路線の中で、総理大臣が靖国参拝したときのみ(そして、それに対して外国から非難や抗議がおこったときのみ)、総理大臣の靖国参拝の是非をめぐって賛成派・反対派のやりとりがおこなわれているというのが、ここ数十年間の状況であるように思える。 

 

国家神道復活派の戦略

 国家神道復活派は、「国家神道を復活すべき」という主張は前面にださず(現時点でそのような主張を前面に押し出すと多くの国民から反発を受けるおそれがあるので。もっとも、右派・保守系論壇誌やネット上ではそのような主張を積極的にしているのかもしれないが)、「お国のために命を投げ出して戦死した人たちを総理大臣が公的に慰霊・追悼できないのはおかしい。」という主張を前面に押し出して、総理大臣の靖国参拝賛成派を増やす戦略をとっているといえる。

 もちろん、タイプBの「靖国神社の根本変革路線」をとれば、総理大臣の靖国公式参拝は実現しやすくなるだろうが、国家神道の復活をめざす人たちは、靖国神社の宗教性(「靖国イデオロギー」)を放棄するつもりはないだろう。

 また、総理大臣の靖国参拝を批判している左派の人たちは、タイプBの路線をとった場合でも、総理大臣の公式参拝に反対する可能性もある。

(左派のこうした態度は、若い世代の左派嫌い・右派保守派好きを増やしているだけで、将来の国家神道復活を後押ししているようにしかみえず、国家神道の復活だけはなんとしても阻止したいと考えている私のような立場の人間には歯がゆい思いがある。)

 

国家神道の復活を阻止するためには

 国家神道の復活を阻止するには次の2つの方法が有効だと思える。

 

・1つめの方法

 現行の政教分離を規定した憲法を守るだけではなく、憲法に「国家神道は復活させない」という条文を付け加える。国政選挙の際、「国家神道の復活」に賛成か反対かを争点の1つにし、右派・保守派の政治家たちの考えを明確にさせる。

 国民の多数派が国家神道の復活に反対であった場合、この方針が実現すれば済し崩しに国家神道が復活するという事態は避けられるだろう。もっとも、国民の多数派は実は国家神道の復活に賛成しているというのが実情だったのなら、私の目論見とは逆の結果になるが。

(国民の多数派が国家神道の復活に賛成しているのだったら、遅かれ早かれ国家神道は復活するだろうから、私1人がそれに反対しても無駄だろう。)

 

 なお、国家神道の復活に反対する国民が多数派であり、かつ憲法に「国家神道は復活させない」という条文を追加することが成功した場合、次は総理大臣が慰霊・追悼行為として靖国神社公式参拝することを合憲とすべきか違憲とすべきかという論点が争点となる。

私個人は、慰霊・追悼行為としてだけなら、合憲にしてもかまわないと思うが、国民投票で多数派の意見を決めるべきだろう。

 

・2つめの方法

 今後、戦死者がでる場合に備えて、靖国神社という特定の宗教と関連した施設ではなく、どのような宗教の信者でもこだわりなく訪問できるあらたな追悼施設を設立すべきである。

(私の考えでは、国家神道の復活を阻止するのが目的なので、新しい施設は国立の施設でも民間の施設でもどちらでもいい。)

 あらたな追悼施設を設立する行為は、「日本を戦争のできる国にすることになる」という、護憲平和主義的な立場からこの方針に反対する人たちはかなり多いかもしれない。

ただ、憲法9条を改正せず、集団的自衛権は行使しないという方針を続けた場合でも、外国が日本に武力攻撃を仕掛けてきて、それに応戦した自衛隊員が何人も戦死するという事態もおこりえる。

 戦死者を公的に慰霊・追悼する施設がないという現在のような状況でそのような事態がおきれば、「戦死した自衛隊員を靖国神社に祀るべきだ」「靖国神社に祀るのなら、戦前同様、神・英霊として祀るべきだ」という意見が多数派となり、一気に国家神道が復活してしまうかもしれない。

 もっとも、あらたな追悼施設の設立に反対している人たちにとっては、あらたな追悼施設を設立することも、国家神道の復活と同様に容認できないと考えているのかもしれない。だとしたら、目的が国家神道の復活を阻止するためだとしても、あらたな追悼施設の設立に反対するのは当然かもしれない。

 

 国家神道復活に反対する勢力が、あらたな追悼施設設立に賛成する立場と反対する立場に2分している状況では、近い将来の国家神道復活はますます現実味をおびてくるだろう。

 

靖国問題の論じ方

 靖国問題で一番重要な争点は(賛成派であれ反対派であれ)「国家神道の復活に賛成か反対か」という論点だろう。

靖国神社を国家機関(公的機関)とするべきか」「総理大臣の靖国神社公式参拝を合憲とすべきか違憲とすべきか」という論点での意見も、「国家神道の復活に賛成か反対か」という点をあきらかにしてからでないと主旨が伝わりにくい。

 実際、靖国神社を国家機関にすることに反対している人、総理大臣の靖国公式参拝に反対している人の中には、それらが将来の国家神道復活につながることを危惧して反対している人もいるだろう(そのような人が少数派か多数派かはわからないが)。

国家神道の復活に賛成か反対か」という論点を曖昧にしたまま、総理大臣の靖国参拝に賛成か反対かということを論じた場合、参拝に反対する人が戦死者やその遺族をないがしろにしているとみなされがちになる。

 靖国神社を国家機関にしたいのなら、「靖国イデオロギー」を放棄して憲法政教分離規定と抵触しない形での国家機関化という方法もある。

また、総理大臣の靖国公式参拝違憲とすべき主張も、その眼目は国家神道の否定にあるだろう。国家神道と戦後憲法政教分離規定はあきらかに矛盾した関係にある。(現行憲法政教分離規定自体が、国家神道を否定すること、国家神道の復活を阻止することを主要な目的としてつくられたはずだから。)

 渋々としてではあれ、戦後憲法を受け入れ、民間の一宗教法人として靖国神社は生き残ってきたのだから、現行憲法の下で、総理大臣が違憲の疑いなく靖国神社公式参拝できるようにしたいのなら、「お国のため天皇陛下のために命を捧げた人を、神・英霊として祀り顕彰する」という価値観はあくまでも戦前の価値観であり、戦後の日本はそのような価値観(「靖国イデオロギー」)を否定・放棄して出発したという現実を受け入れ、国家神道の復活などは諦め、靖国神社は「幕末から大東亜戦争期までの死者を慰霊・追悼するための歴史的遺産」としたうえで、宗教とはかかわりなく総理大臣が靖国神社に参拝できるようにすべきだろう。

 

 ○最後に ― 再び戦死者の弔い方ならびに靖国神社のありかたについて

 最後に、個人的な考えも述べながら、戦死者の弔い方、靖国神社の今後のありかたについて考えてみたい。

私個人は、何度も述べてきたように国家神道の復活には絶対反対である。だが、これから数年間のうちには、国家神道復活派と反対派の間で政治闘争、イデオロギー闘争がおきる可能性もある。(私自身は、残念ながら、国家神道復活派が勝利するだろうと悲観している。)

 「戦死者の弔い方」については、当然、戦死者を「英霊として顕彰する」3の方針には反対している。

国民の多数派が、戦死者を「英霊として顕彰すること」にも「国家・政府が国家機関(公的機関)で慰霊・追悼すること」にも反対する1の方針を選ぶのであれば、その方針に反対はしない。

だが、戦死者を「英霊として顕彰すること」には反対するが、「国家・政府が国家機関(公的機関)で慰霊・追悼すること」には賛成する2の方針の方が実現可能性も高く、より良い選択であると思う。

 

 2の方針をとった場合、どの施設で慰霊・追悼するかということが問題となる。これについては3つの考え方がある。

 

1 靖国神社を慰霊・追悼施設とする

 ただし、「英霊として顕彰すること=国家神道の復活」は否定する方針の下で慰霊・追悼施設とするので、この場合は「靖国問題の争点」の節で示した「タイプB・靖国神社の根本変革路線」の形で慰霊・追悼することとなる。 

 

2 あらたな追悼施設を設立

 なお、この方針をとったときも、本人や遺族が国家・政府に慰霊・追悼されることを拒否した場合は、その意志を尊重すべきである。

 あらたな追悼施設を設立した場合、靖国神社をどう位置付けるかが問題となる。私自身の考えは、前節で述べたように「幕末から大東亜戦争期までの死者を慰霊・追悼するための歴史的遺産」として、あらたに戦死者がでても靖国神社に祀るべきではないというものである。

 また、このケース(今後、戦死者が出たときはあらたな追悼施設で慰霊・追悼し、靖国神社には祀らない場合)でも総理大臣の靖国公式参拝違憲とすべきかという論点だが、私自身は合憲にしてかまわないと考えている。ただ、現行憲法下では違憲であるのなら憲法改正をしてからということになる。もちろん、総理大臣の靖国公式参拝はあくまでも違憲とすべきという意見が多数派であるのなら、その意見を尊重すべきである。(総理大臣の靖国公式参拝違憲とすべきという意見は、現時点では少数派かもしれないが。)

 

3 靖国神社・あらたな追悼施設併用説

 靖国神社で慰霊・追悼されることを望んだ場合は靖国神社で、あらたな追悼施設で慰霊・追悼されることを望んだ場合はそちらで、本人・遺族の意向を尊重する方針(本人の意志は、事前に確認しておく必要があるが)。

両方の施設で慰霊・追悼することが可能なら、それを認める場合も想定できる。

 

 私自身は、2のあらたな追悼施設を設立する方針を支持するし、靖国神社は、あらたな死者は祀らず、過去の歴史的遺産とすべきと考えるが。

ただし、「タイプB・靖国神社の根本変革路線」「新たな追悼施設の設立案」に対しては、靖国神社を支持する勢力からの頑迷な抵抗が予想され、実現できるかはわからないだろう。

現実には、私個人の願望に反して、今後十年、二十年位の間に国家神道が復活され、戦死者を「英霊として顕彰する」3の方針がとられる可能性が一番高いような気もするが。

国旗・国歌をめぐるイデオロギー闘争

   (2011年5月23日記述)

 

 戦後の日本では、日の丸・君が代に愛着心をもってはいるが、戦後憲法は尊重する意志のない右派勢力。

日の丸・君が代を日本の国旗・国歌にすることには反対するが、戦後憲法には信仰心のようなものをもっている左派勢力(「悔恨共同体」と名付けられた人たちなどが該当するだろう)。

2種類のイデオロギーをもつ人たちが、教育に関する問題をめぐって政治闘争・イデオロギー闘争を繰り広げてきた。

(国民全体の中では、日の丸・君が代に愛着心をもち、また戦後の憲法も大切だと感じている人が多数派だとは思うが。)

 

 右派イデオロギストたちは、(旧)教育基本法の改正(とそれに基づいた愛国心教育の実施)、教育現場における日の丸・君が代の掲揚・斉唱の徹底を二大目標にしてきたといえる。

教育基本法の改正自体は数年前に達成し、愛国心教育の実施は、日の丸・君が代問題に一応の決着がつけば本格的に推し進めるかもしれない。

 日の丸・君が代の掲揚・斉唱の徹底に関しては、国旗国歌法が制定されたあと、東京都や大阪府など憲法の思想信条の自由・良心の自由を尊重する意志のない人物が首長に選出された地方公共団体においては、過激に推し進められてきたといえる。

 

 公務員の良心の自由を尊重する意志があるならば、国歌の斉唱時、口を閉じて歌わない自由を保障する、起立自体を拒否する教職員に対しては、式典実施時(あるいは国歌斉唱時)、職員室などに退避することを命令すれば憲法で保障された権利は擁護されるだろう。

 だが、憲法を尊重する意志のない右派イデオロギストたちは、公立学校の教職員に対して国歌斉唱時に起立斉唱させることを徹底させ、従わない教職員を処分する方針を変更しないから、起立を拒否する教職員との間での闘争が繰り返される。

処分する方針を貫きたいのならば、国歌の斉唱を拒否する教職員に対しては、式典実施時(あるいは国歌斉唱時)に、式場を退避することを命令する、その命令に従わず式典に参加した上で起立を拒否した場合に限り、職務命令に違反したとして処分すればいいだろう。

 

○公務員に国歌斉唱を拒否する自由を認めたほうがいい理由

 「公務員には国歌を斉唱する義務がある」「国歌を斉唱したくない人間は公務員をやめろ」以上のような主張はネット上でよくみかけた。

日の丸・君が代にかわり、どのような国旗・国歌が制定された場合でも上記のような主張を続けるのであれば、主張自体にそれなりの筋は通っている。

(現行憲法下で、公務員に国歌斉唱の義務があるのかは不明だが。)

 

 1995年の村山談話に基づいた新国歌が制定され、公立学校の教職員に対して新国歌の斉唱が強制された場合。

村山談話自虐史観に基づいているからこれを支持できないと考えているような右派的な考えをもっている教職員は、新国歌の斉唱を拒否することができなくなる。

 国会で過半数議席を獲得すれば、どのような国旗・国歌を制定することも原理的には可能である。

新しく制定された国旗・国歌を尊重することができないからという理由で、優秀な公務員や教師たちが辞職してしまえば、国家・行政機関にとっても、教育現場においても大きな損失になってしまう。

 

 公務員に対しても、国歌斉唱を拒否する権利を憲法上保障したほうがいいのは、基本的人権の尊重というだけではなく、功利的観点からもそのほうが国家や行政機関にとって得になるからでもある。

だが、国旗・国歌の問題をイデオロギーの問題としか考えられない人は、自分たちの思想を満足させることしか頭にないので、結果的に政治に悪影響をもたらしているということに気がつかない。

明治は続くよいつまでも

*2010年、上海万博が開かれていたときに記述した文章です。

   (2010年5月2日記述)

 

 上海万博の日本館が日の丸掲揚を見送り、それに対しての批判・非難が2チャンネル周辺でおこっているみたいである。

まあ、戦後、憲法体制・政治体制が根本的に変わったにもかかわらず、戦時中使用していた国旗・国歌を敗戦後も使用しているのだから、こういった問題は、憲法・政治体制が「明治的なもの」に戻るか、それとも戦後憲法の理念を反映した新国旗・新国歌が制定されるかしない限りは、これからもおこり続けるだろうね。(ただし、どっちの場合も国論が真っ二つに割れ、今回以上の論争・対立が巻き起こるだろうけれども。)

 そもそも、近現代の日本は「軍国主義化以前の大日本帝国体制」「軍国主義体制」「戦後民主主義体制」と政治体制が3回かわったけど、一貫して「日の丸・君が代」を国旗・国歌にし続けているんだよね。

 軍国主義時代の日本が、ナチスドイツみたいに新国旗を制定していたら、敗戦後日の丸を国旗に復活させたとしても「日の丸は軍国主義を象徴する」などと叩かれることはなかったんだよね。

 ドイツは、ワイマール時代に現在の国旗が制定され、ナチス時代に鉤十字をかたどった新国旗が制定され、第二次大戦後再びワイマール時代の国旗に戻ったらしい。それと比較すると日本は、ドイツ第二帝国時代の国旗・国歌を政治体制がかわっても延々使い続けているようなもんなんだよね。

 ドイツは、それが良いことか悪いことかは別にして、民主主義革命がおこって民主主義国家を象徴する国旗が制定されたけど、日本はまだドイツ第二帝国が続いているようなもんなんだよね。

 戦後の憲法・政治体制は、アメリカに占領されたから作られたのであって、もし日本がアメリカに占領されなかったら、日本の憲法・政治体制は「明治憲法と戦後憲法の中間的なもの」にしかならなかっただろうね。大多数の日本人の憲法・政治意識は、今でもまだ「明治憲法と戦後憲法の中間的なもの」でしかないだろうね。

 

○日の丸・君が代をめぐって

(ここから文体かわります)

 日の丸・君が代を日本の国旗・国歌にすることに反対する人は2種類いる。日の丸・君が代を「大日本帝国」の理念を象徴するものとみなし、「戦後民主主義国家」の理念を象徴する新国旗・新国家を制定すべきと考える人たち。それと、軍国主義時代使用していた国旗・国歌は否定すべきと考える平和主義者たち(上記の2派は、かなり重複している可能性もある。また、国旗・国歌不要論を唱える人も加えると(反対派は)3種類になるだろう)。

 反対派の弱点は、日の丸・君が代にかわる(多くの国民にとって)魅力的な新国旗・新国歌案を提示できなかったことにあるだろう(国旗・国歌不要論者は代案など提示するはずないけれども)。

 このことは、戦後の左派・左翼が政府や与党を批判するだけで、自ら権力を手にして自分たちの理念に基づいた政治・政策を実現できなかった欠点をそのままあらわしている。多くの国民が日の丸・君が代よりも良いと感じる(考える)国旗・国歌案が提示されない限り、新国旗・新国歌が制定されることはないだろう。だから、反対派が「日の丸・君が代を日本の国旗・国歌にすることに反対する」だけの運動を続けている限り、日の丸・君が代にかわる新国旗・新国歌が制定されることはないだろう。

 また、右派・保守派の中には、「日の丸・君が代を日本の国旗・国歌にすることに反対する人たち」を反日的・反愛国的とみなしたり、「そんなに日本が嫌いなら日本から出ていけ」という支離滅裂な主張をする人も少なからずいるようである。こういった主張をする人たちは論理的な思考ができない人なので相手にする必要はないが、「天皇・日の丸・君が代」こそが日本そのもので、これらが1つでも廃止されたら日本はおしまいだ、と考えている人も少なからずいそうである。

 冒頭の上海万博での日の丸掲揚見送りに関しては、新国旗を制定すればこうした問題はおきないのだから、掲揚見送りを批判する人たちこそ新国旗制定運動に尽力すればいいんじゃないの、というのが感想である(戦時中使用していた国旗・国歌を使い続ける限り、こうした問題は繰り返されるのだから)。

 あるいは、国内用の国旗と国外用の国旗を2つ制定し、戦場となった地域では国外用の国旗を使用するという方針をとれば、こうした問題はおきないだろう(そのことが思想的・理論的に問題ないのかという疑問はあるし、問題なかったとしてもそんな案に賛成する人はほとんどいないだろうけれども)。

 

○戦後憲法と日の丸・君が代

 日の丸・君が代は、明治憲法の理念を象徴するもので戦後憲法と矛盾しているという考え方があるだろう(日の丸は、明治維新の結果成立した近代的な国民国家を象徴する国旗であって、戦後憲法と矛盾していないという考え方もあるかもしれないけれども)。

 憲法明治憲法的なものにかえれば、国旗・国歌と憲法との矛盾は解消できるだろう。だが、そのような憲法改正に賛成する人は少数派だろう。

一方、戦後憲法の理念に基づいた国旗・国歌が制定されればやはり矛盾は解消されるが、そのような国旗・国歌が制定される気運はまだない(将来はわからないけれども)。

国民や政治家たちの政治意識が「明治憲法と戦後憲法の中間的なもの」であり続ける限り、日の丸・君が代をめぐる左右の対立はこれからも繰り返されるだろう。

国旗・国歌は必要か

 国旗・国歌が必要か不要かについては以下のような立場があるだろう。

1 国旗・国歌を不要とする立場。

2 オリンピックなどの国際的なスポーツ大会での使用に備えとりあえず制定しておくが、国旗・国歌を政治的に利用することには反対する立場。

 具体的には、「国旗・国歌をナショナリズム涵養の道具に使い、学校行事の際、国旗への敬礼や国歌の斉唱を義務付け、これに従わなかった教職員を処罰する」方針に反対することなど。

3 国旗・国歌をナショナリズム涵養の道具として積極的に利用しようとする立場。

 

 3の立場の人は右派・保守的な考えの持ち主に多くみられるが、彼らは左翼的な価値観に基づいた新国旗・新国歌が制定されたときには、この方針に反対するだろう。

 1の立場は、反国家・反ナショナリズム的な考えを持った人にみられる。

いつだったかはっきり時期は覚えていないが(90年代だったとは思うが)、読売新聞の国旗・国歌に関する記事で、浅田彰が「国旗・国歌は必要ない」といった主旨のコメントを寄せていたのが印象に残っている。

 

 私自身は2の考えをもっている。

国民の多くが国旗・国歌を不要だと考えるのなら、その意見を尊重するが、オリンピックなどのとき掲げる国旗がないと格好悪いような気がするので、便宜的に国旗や国歌を制定しておいた方がいいと考えている。

 といっても、日本の国旗・国歌は絶対「日の丸」「君が代」であるべきだなどと考えているわけではないから、「日の丸」「君が代」に代わる新国旗・新国歌を便宜的に制定することには反対しない。

ただし、新しく制定された国旗や国歌を政治的に利用することには断固反対する。

(まあ、革命でもおきて政治体制が根本的に変革したときは、新国旗・新国歌を制定しこれを政治的に利用し、新体制に対する忠誠心を国民に植え付けようとするだろうけれども。)

国旗と国歌をめぐるオセロゲーム

 国旗と国歌の問題を議論する場合、以下の論点がある。

1 国旗・国歌は必要か。

2 国旗・国歌が必要である場合、日本に相応しい国旗・国歌はどのようなものか。(この論点は、日の丸・君が代を国旗・国歌にすることの妥当性の問題でもある。)

3 国旗の掲揚、国歌の斉唱を国民の義務にすべきか。

4 公務員に対して国旗への敬礼、国歌の斉唱を義務化(強制)することの是非。

5 学校の教職員に対して国旗への敬礼、国歌の斉唱を義務化(強制)することの是非。(この場合、公立学校の教職員は4の公務員のケースに含まれるので、私立学校の教職員に対して義務化することの是非が問われる。)

6 学校の行事の際、国歌の斉唱を義務付ける文部科学省の方針の是非。

 

 戦後の日本では、日の丸・君が代を国旗・国歌とすることの是非をめぐって左右のイデオロギー闘争がおこなわれてきた。

現在では、日の丸・君が代が日本の国旗・国歌であることが法律で定められているので、これに反対する人たちは国会で過半数議席を獲得し、日の丸・君が代に代わるあらたな国旗・国歌を制定する法律をつくればよい。

 また、国旗・国歌が不要であると考える人たちは、やはり国会で過半数以上の議席を獲得し、現在制定されている国旗国歌法を廃止すればよい。

(議会制民主主義を否定している人たちは、武力クーデターで権力を掌握し、自分たちの目的を達成しようと考えているのかもしれないが。)

 

 だが、3から6の論点を議論する場合はちょっとややこしいことになるだろう。

例えば、日の丸・君が代を日本の国旗・国歌にすることに賛成している人の場合、日本の国旗・国歌が日の丸・君が代である限りは、3から6の方針に賛成する。

だが、日本の国旗・国歌が自分たちに受け入れられないものに代わった場合(憲法9条の理念に基づいた国旗・国歌だとか、村山談話に基づいた国旗・国歌が制定された場合)は、3から6の方針に反対するだろう。

(ただし、3の国旗の掲揚・国歌の斉唱の国民の義務化については、右派・保守派の中でも賛成する人は少数派であるかもしれない。)

 一方、現在3から6の方針に反対している人の場合、日本の国旗・国歌が日の丸・君が代以外のものに代わったときは、これらに賛成するかもしれない。

国旗の掲揚・国歌の斉唱の国民の義務化については、賛成する人は少数派だと思うけれども。

 

 日本の国旗・国歌がどのようなものであれ、原理原則として「公務員に対して国旗への敬礼、国歌の斉唱を義務化することに賛成する(または反対する)」、「学校の教職員に対して国旗への敬礼、国歌の斉唱を義務化することに賛成する(または反対する)」、「学校の行事の際、国歌の斉唱を義務付けることに賛成する(または反対する)」人たちは少数派であると予想される。

 学校行事の際、教職員に対して君が代を斉唱することが職務命令され、これに従わなかった教職員が処罰される。このことを当然と考えている人たちも、日の丸・君が代に代わる国旗・国歌が制定されたときには、学校の行事で国歌を斉唱することに反対するかもしれない。

 一方、左翼政権が成立し憲法9条の理念に基づいた新国旗・新国歌が制定された場合、新国旗への敬礼を拒否した自衛隊員が処罰されるなんてことも起こるかもしれない。

 国旗・国歌をめぐる問題は、どうしても左右のイデオロギー対立になりやすく、民主主義的観点からの議論が成立しづらいように思われる。

憲法観・国家観をめぐる対立

○国家観をめぐる対立

 「二重憲法・二重国家体制としての戦後日本」の中で、戦後の日本には、憲法観・国家観について相容れない異なる考え方をもつ人たちが共存していると記述した。

一方は、明治憲法大日本帝国憲法)のうち、自分たちが改正してもいいと考えている条項のみを改正した憲法が、本来のあるべき日本の憲法であると考えていて、戦後憲法戦後民主主義体制に否定的な考えをもつ人たち (「 “明治憲法”派」と表記)。

もう一方は、基本的には戦後憲法戦後民主主義体制に肯定的な考えをもつ人たち。

 

 ただし、戦後憲法体制・戦後民主主義体制に肯定的な考えをもつ人たちは、戦前の国家体制(明治国家・大日本帝国)と戦後の国家体制の関係をどう考えているかによって2つのタイプにわかれる。

 1つは、戦前の国家と戦後の国家を連続したものととらえている人たち。明治憲法を大幅に改正した結果、戦後の民主主義体制になったと考えている人たち(「大日本帝国継続派」、あるいは「戦前―戦後連続派」と表記しておく)。

 もう1つは、革命によって戦前の国家体制を否定して、あたらしい戦後の民主主義国家が誕生したと考えている人たち(「8月15日革命派」、あるいは「戦前―戦後断絶派」と表記しておく)。

 

 こうした2派のちがいは、アメリカに占領されなかった場合に生じた可能性のある左派・リベラル派陣営の路線対立をあらわしているだろう。

急進派は、革命をおこして大日本帝国憲法体制を否定して、あらたに国民主権の民主的な憲法・国家体制をつくろうとしただろう。

一方、穏健派は戦前の国家体制は否定せず、大日本帝国憲法を大幅に改正するという過程を通じて、現在と同じような民主国家体制をつくろうとしただろう。

前者は天皇制を廃止して共和制をめざす人たちが多いと思われる。

一方、後者は天皇を君主・国王とみなし立憲君主制をめざす人たちが多いと思われる。

 

  *注記

 天皇制廃止派は、皇室そのものを廃止しようとする勢力と、天皇・皇室を宗教的な存在とみなし、政教分離の考えに基づき、天皇・皇室と統治機構とのかかわりを絶ち、宗教組織として皇室は存続させようとする勢力に分かれるだろう。

 

 戦後日本の3つの国家観

1 “明治憲法”派

 明治憲法大日本帝国憲法)のうち、自分たちが改正してもいいと考えている条項のみを改正した憲法が、本来のあるべき日本の憲法であると考えていて、戦後憲法戦後民主主義体制に否定的な考えをもつ人たち。

 

2 民主憲法大日本帝国継続派

 戦前の国家体制を否定せず、大日本帝国憲法を大幅に改正するという過程を通じて、現在と同じような憲法・民主国家体制が形成されたと考える人たち、あるいはそのような歴史を歩むのが理想だったと考える人たち。

 

3 民主憲法―8月15日革命派

 革命によって戦前の国家体制を否定して、あたらしい戦後の民主主義国家が誕生したと考えている人たち、あるいはそうなるのが理想だったと考える人たち。

 

 2つめの「民主憲法大日本帝国継続派」に位置する人たちは、3つめの「民主憲法―8月15日革命派」よりは1つめの「 “明治憲法”派」に共感を覚える人が多いかもしれない。「民主憲法大日本帝国継続派」が天皇制の存続になによりもの価値をおいた場合、天皇制を廃止する可能性のある「民主憲法―8月15日革命派」よりは、天皇制を存続させようとする「 “明治憲法”派」の方に親近感をもつだろう。

 

 また、1つめの「 “明治憲法”派」で中道寄りにいる人と、2つめの「民主憲法大日本帝国継続派」で右寄りにいる人が理想とする憲法のあり方は、かなり近いかもしれない。

特に前者のうち、大日本帝国憲法を大幅に改正して現在の憲法とほぼ同じものにしようと考える人は、「民主憲法大日本帝国継続派」とそれほど大きな違いはみられないかもしれない。

 

憲法観をめぐる対立

 戦後の憲法は2つの大きな特徴から成り立っている。

1つは、欧米で生まれた民主主義思想や自由主義思想を基にした、欧米の民主主義国家が標準的に備えているだろう価値観。

もう1つは、軍事・防衛問題に関した超理想主義的な価値観。

 

 この2つの価値観に対して、大別すると3つの政治勢力がみられる。

1つめは、欧米民主主義国家が標準的にもっている民主主義思想や自由主義思想に対して否定的な考えをもっている人たち。

戦後憲法の理念や価値観を肯定的に評価している人たちからみれば戦前回帰的な考えをもっている人たち。

彼らの多くは、明治憲法大日本帝国憲法)のうち、自分たちが改正してもいいと考えている条項のみを改正した憲法が、本来のあるべき日本の憲法であると考えているので、「 “明治憲法”派」と表記しておく。

 この立場の人は、憲法9条も改正すべきと考えている人が大部分だろう。

 

 2つめは、憲法9条は改正すべきだが、民主主義思想や自由主義思想に基づいた内容はそのまま残すべきと考えている人たち。「リベラル改憲派」と呼ばれている(あるいはそう自称している)人たち。

 

 3つめは、民主主義思想や自由主義思想に基づいた内容を肯定的に評価するだけでなく、憲法9条に特別な感情をもっている人たちで、9条の改正に強硬に反対している人たち。この立場の人は、「9条護憲派」(あるいは「戦後憲法派」)と表記しておく。

 

 この3つの中でもっとも勢力が弱いのは、2つめの「リベラル改憲派」だろう。政治の世界でもっとも強い力をもっているのは1つめの「 “明治憲法”派」であり、アカデミズムやジャーナリズムの世界では、戦後、左翼やリベラル派が主流派・多数派であったこともあり、3つめの「9条護憲派」が多数派だったかもしれない。

(ただ、90年代後半以降は、ジャーナリズムの世界では左派的言論は退潮し、右派・保守派的言論が隆盛しているようにみえるが。)

 

 結党以来、ごくわずかな期間を除き常に政権与党であり続けた自由民主党は、自主憲法の制定、あるいは現行憲法の改正を主張し続けてきたが、自民党員、自民党の政治家たちの多くが2つめの「リベラル改憲派」であったなら、日本の憲法論議はもう少し実りのあるものになっていたかもしれない。彼らは憲法9条を改正しようとするだけでなく、国民の権利や自由を充分に保障した現行憲法の内容を、戦前回帰的な、国民の権利や自由を弱めたものに改正しようとしているため、多くの国民は憲法改正自体に対して警戒感をもつようになってしまった。

 自民党の政治家の多くは、自分たちは選挙で選ばれた国民の代表であるという意識をあまりもっておらず、徳川幕府の政治指導者や、徳川幕府を倒して権力を手にした明治国家の建設者同様、自分たちは統治者側、国民を支配し指導する立場にあるという意識を強くもっていて、統治者の視点にたって憲法を制定(あるいは改正)しようとしているため、彼らの唱える憲法案は国民の多数派の支持はなかなかえられない。

 アメリカ占領軍によって、国民の権利や自由を全面的に保障した憲法が制定されたというのに、せっかく認められた自分たちの権利や自由を制限しようとする憲法改正案に賛成する国民は少数派だろう。近代的な理念や価値観をもたない政治家たちが中心となって憲法改正を推し進めようとしても国民の多数派の支持はえられないだろう。

 

 1つめの「“明治憲法“派」に対抗する一番大きな勢力が3つめの「9条護憲派」だったことも、戦後の憲法論議が実りのあるものにならなかったもう1つの要因であろう。

9条フォビア(9条嫌い)たちが蛇蝎のごとく忌み嫌っている憲法9条が、少なからぬ国民に好意的に支持され、人によっては信仰の対象にすらなったのには歴史的な背景・事情があったのだから、そのこと自体を批判してもあまり意味はない。

戦時中に軍隊のおそろしさを骨身に沁みて感じたから、軍隊そして国家による軍事力の行使は絶対悪という思いが身体レベルで身についたのだろう。だが、その反動として軍事・防衛問題に関して現実的な立場から思考するという習慣がなくなってしまったといえる。

 

 「“明治憲法”派」は、民主主義的な理念や価値観はあまりもっていないが、軍事・防衛問題に関しては現実的な思考をしている。「“明治憲法”派」に対抗する左派やリベラル派が、軍事・防衛問題に関して理想論を唱えるだけであり、現実的な政策論争があまり行われないため、結局、与党の立場にいる「“明治憲法”派」の実現しようとする政策が、民主主義的な観点から問題があったとしても、問題を残したまま実施されるという事態が生じている。

 特に憲法9条(軍事・防衛問題)に関しては、リベラル改憲派、リベラルホーク(リベラル鷹派)といえる人たちが、戦後憲法の民主主義的な理念や価値観を前提としたうえで、国民にとって一番良い政策を選択しなければいけない。

しかし、戦後の日本では、軍事・防衛問題に関しては現実的な思考をしているが民主主義的な理念や価値観をあまりもっていない「“明治憲法”派」、民主主義的な理念や価値観をもってはいるが、軍事・防衛問題に関しては理想論を唱えるだけの「9条護憲派」、この2つの勢力が政治の世界、思想言論の世界で大きな勢力になっている。

そのために、上述したような民主主義的な理念や価値観を前提としたうえでの現実的な軍事・防衛問題に関した政策論争がほとんどみられない。

 

○軍事・防衛問題をめぐる対立

 軍事・防衛問題、憲法9条に関する問題についても3つの勢力がみられる。

1つめは、憲法9条を無効化させることをなによりもの政治課題としている人たち。憲法9条を無効化・形骸化させるためなら、どのような手段も用いるマキャベリストたち。(「9条無効派」と表記しておく。前述の「 “明治憲法”派」は大半がこの立場だろう。)

 2つめと3つめは、前述の「リベラル改憲派」と「9条護憲派」。

2つめの「リベラル改憲派」は、集団的自衛権の行使や自衛隊の海外の武力行使に賛成する点など、軍事・防衛問題に関しては、「“明治憲法”派」や「9条無効派」と似たような考えの人が多い。ただし、彼らは憲法を重視しているので、集団的自衛権の行使や自衛隊の海外での武力行使などは、憲法9条を改正し、憲法上の問題を解決したうえで実施すべきと考えている。「9条無効派」が、自分たちが必要だと考える政策を、憲法を無視して既成事実化する姿勢と大きくことなっている。

 前項でも述べたように、「リベラル改憲派」は政治の世界でも言論の世界でも少数派であり、3つの勢力の中ではもっとも力が弱い。

そのため、憲法9条を改正し、そのうえで集団的自衛権を行使しようという動きは実現せず、「9条無効派」が、憲法解釈の変更という大義名分のもと、実際には憲法を無視して集団的自衛権の行使を既成事実化しようとし、それに対して「9条護憲派」が“戦争法反対”というスローガンを掲げて政府批判を繰り広げるという滑稽な事態が生じている。

 

 自衛隊が設立されるまでは、憲法9条は絶対平和主義の理念をあらわしているとみなされていただろう。だが、自衛隊設立後は、「個別的自衛権を行使する軍事力は必要だ」と考える人がふえてきて、自衛隊憲法9条の問題が重大な政治上・憲法上の争点となった。

 おそらく国民の多数派は「自衛隊は必要である。だが、戦前のように日本から外国に武力攻撃することには反対だ。また、海外の戦争・紛争に介入することにも反対だ。」という考えだっただろう。

 だから、現時点から振り返れば、「個別的自衛権を行使する軍事力を保有すること」「日本から外国に先制攻撃をしないこと」「海外でおきた戦争・紛争には介入しないこと」、憲法9条をこのように改正しておけば、集団的自衛権の行使が違憲か合憲かをめぐって国会で議論が繰り返されるなどという不毛な状況は生じなかっただろう。

(国会で論じなければいけないのは、憲法を改正して集団的自衛権の行使を可能にすること、その方針転換にたいしての是非であるべきだった。)

 

 ただ、改憲派憲法9条改正派)の国会議員の多くは、自衛隊の役割を個別的自衛権の行使に限定した憲法改正案には反対だった。そのため、国民にたいしては、「憲法9条を改正して、外国と同様、普通に軍隊を持てる国にするか」「憲法9条を維持して自衛隊を廃止するか」という2つの選択肢しか示さなかった。

 また、護憲派(9条改正反対派)の国会議員からも、前述のような憲法改正案(憲法9条を、「個別的自衛権を行使する軍事力を保有すること」「日本から外国に先制攻撃をしないこと」「海外でおきた戦争・紛争には介入しないこと」という内容に変える改正案)は提示されなかった。

 そのため、結局、「憲法9条を改正せず自衛隊を廃止するか」「憲法9条を改正して、外国と同様に戦争ができる国になるか」という2つの選択肢しかないなかで、国民の多数派はどちらの選択肢も選ぶことはできず、政府は政策上の必要性から自衛隊を廃止するという選択をすることはできなかったため、憲法解釈によって自衛隊の存在を正当化させるという方針がとられることとなった。

 湾岸戦争後、自衛隊を海外に派遣するべきかということが争点となったが、このときも、やはり「憲法9条を改正して、外国と同様に戦争ができる国になるか」「憲法9条改正に反対=自衛隊の海外派遣に反対か」、という2項対立で議論される状況が続いた。

 

 戦後の日本では、軍事・防衛の問題(憲法9条自衛隊をめぐる問題)に関しては、常に、憲法9条を改正すべきか、それに反対かといったテーマが真っ先にもちだされる。だが、この問題を議論するときに「憲法9条改正に賛成か反対か」という論点を最初にもちだしても、不毛な対立に終始するか、長い間、護憲派改憲派がおこなってきたステレオタイプの議論を蒸し返すかという状況におちいってしまう。

 軍事・防衛の問題に関しては、軍事政策の基本方針をどうするか、基本方針と憲法の関係をどうするか、といった点を最初に議論する必要がある。そして、軍事政策の基本方針と憲法の関係を論じる際には、統治行為論を認めるべきかという点がもっとも重要な争点となる。

 だが、現実の政治においては、自衛隊設立後、それまでの「絶対平和主義」から「一国平和主義・専守防衛主義」へ、湾岸戦争後は「非武力行使型海外紛争介入主義」へと軍事政策の基本方針が変更されてきたが、その間、軍事政策の基本方針の転換(=憲法9条改正の是非)について主権者である国民の意思を問うことはなく、政府が必要だと考えた政策を統治行為論に基づいて(=憲法は無視して)実現してきたといえる。

 統治行為論に反対する人たち、政府の軍事力の行使に対して憲法で制約をかけるべきと考えている人たち、護憲の立場にいる人たちこそが、(政府の軍事力の行使に対して)どのような制約をかけるべきかに関して、国民多数派の意思を集約して、それを憲法に反映させておくべきだった。自衛隊の存在を憲法解釈によって正当化したために、あるいはそれを許してしまったために、憲法解釈によって集団的自衛権の行使も正当化できるという口実を、改憲派にあたえてしまったといえる。

 集団的自衛権の行使に関して違憲訴訟がおこされ、最高裁統治行為論をもちだして集団的自衛権を容認すれば、最終的に統治行為論派の勝利が確定するかもしれない。

憲法を改正しなくても、憲法解釈によって集団的自衛権の行使が正当化できるとなれば、軍事政策の基本方針に関して国民の合意案を形成し、それを憲法に明示させようという主張を改憲派は受け入れないだろう。

 この先、「国際環境が変化したので、国民の生命や財産を守るために、日本から外国に対して先制攻撃することは憲法違反ではない。」と憲法解釈を変更して、正当性のない戦争に突入しないことを願うばかりである。