国旗・国歌をめぐるイデオロギー闘争

   (2011年5月23日記述)

 

 戦後の日本では、日の丸・君が代に愛着心をもってはいるが、戦後憲法は尊重する意志のない右派勢力。

日の丸・君が代を日本の国旗・国歌にすることには反対するが、戦後憲法には信仰心のようなものをもっている左派勢力(「悔恨共同体」と名付けられた人たちなどが該当するだろう)。

2種類のイデオロギーをもつ人たちが、教育に関する問題をめぐって政治闘争・イデオロギー闘争を繰り広げてきた。

(国民全体の中では、日の丸・君が代に愛着心をもち、また戦後の憲法も大切だと感じている人が多数派だとは思うが。)

 

 右派イデオロギストたちは、(旧)教育基本法の改正(とそれに基づいた愛国心教育の実施)、教育現場における日の丸・君が代の掲揚・斉唱の徹底を二大目標にしてきたといえる。

教育基本法の改正自体は数年前に達成し、愛国心教育の実施は、日の丸・君が代問題に一応の決着がつけば本格的に推し進めるかもしれない。

 日の丸・君が代の掲揚・斉唱の徹底に関しては、国旗国歌法が制定されたあと、東京都や大阪府など憲法の思想信条の自由・良心の自由を尊重する意志のない人物が首長に選出された地方公共団体においては、過激に推し進められてきたといえる。

 

 公務員の良心の自由を尊重する意志があるならば、国歌の斉唱時、口を閉じて歌わない自由を保障する、起立自体を拒否する教職員に対しては、式典実施時(あるいは国歌斉唱時)、職員室などに退避することを命令すれば憲法で保障された権利は擁護されるだろう。

 だが、憲法を尊重する意志のない右派イデオロギストたちは、公立学校の教職員に対して国歌斉唱時に起立斉唱させることを徹底させ、従わない教職員を処分する方針を変更しないから、起立を拒否する教職員との間での闘争が繰り返される。

処分する方針を貫きたいのならば、国歌の斉唱を拒否する教職員に対しては、式典実施時(あるいは国歌斉唱時)に、式場を退避することを命令する、その命令に従わず式典に参加した上で起立を拒否した場合に限り、職務命令に違反したとして処分すればいいだろう。

 

○公務員に国歌斉唱を拒否する自由を認めたほうがいい理由

 「公務員には国歌を斉唱する義務がある」「国歌を斉唱したくない人間は公務員をやめろ」以上のような主張はネット上でよくみかけた。

日の丸・君が代にかわり、どのような国旗・国歌が制定された場合でも上記のような主張を続けるのであれば、主張自体にそれなりの筋は通っている。

(現行憲法下で、公務員に国歌斉唱の義務があるのかは不明だが。)

 

 1995年の村山談話に基づいた新国歌が制定され、公立学校の教職員に対して新国歌の斉唱が強制された場合。

村山談話自虐史観に基づいているからこれを支持できないと考えているような右派的な考えをもっている教職員は、新国歌の斉唱を拒否することができなくなる。

 国会で過半数議席を獲得すれば、どのような国旗・国歌を制定することも原理的には可能である。

新しく制定された国旗・国歌を尊重することができないからという理由で、優秀な公務員や教師たちが辞職してしまえば、国家・行政機関にとっても、教育現場においても大きな損失になってしまう。

 

 公務員に対しても、国歌斉唱を拒否する権利を憲法上保障したほうがいいのは、基本的人権の尊重というだけではなく、功利的観点からもそのほうが国家や行政機関にとって得になるからでもある。

だが、国旗・国歌の問題をイデオロギーの問題としか考えられない人は、自分たちの思想を満足させることしか頭にないので、結果的に政治に悪影響をもたらしているということに気がつかない。