60年安保私観

 60年安保闘争については、非民主主義的な政権を打倒した民衆の政治運動だとして、民主主義的な観点からこれを評価する声もある。

その評価の妥当性についてはここでは触れないが、闘争の本来の目的であった安全保障の問題に関していえば、あの運動は戦後日本の一種の通過儀礼(イニシエーション)だったのではないかと思う。

 戦後ある時期までの日本人は、思想的に右であるか左であるかを問わず、自国が他国の占領下・従属下にあることに対して鬱屈した気持ちをもっていたのではないか。

そして、従属状態を脱したいという気持ちと、それが限りなく困難であるという現実の板挟み状態の中で、ジレンマに陥っていたのではないか。

 60年安保闘争は、アメリカの従属状態を脱するという困難な夢を追い求めるのはやめにして、日本がアメリカの従属状態にあるということを所与の前提として受け入れ、その中で経済発展だけを追い求める、そのような方針転換をするための儀礼行為だったような気がする。

 アメリカ相手に(実際には日本の政府相手だが)、勝ち目のない、はじめから敗北することが分かり切っているささやかな抵抗運動を試み、そしてその運動が予想通り敗北したことによって、その後の多くの日本人は、アメリカの従属状態を脱しようなどという大胆なことは想像もしなくなり、それ以前に、日本がアメリカの従属状態にあるということすら意識しなくなったのではないか。

一部の右翼や左翼の唱える反米的な主張は、多くの人の平和で安定した日常生活を脅かすものとなり、人々から忌避されるようになったのだと思う。

 60年安保闘争から10年後、三島由紀夫が命を投げ出して訴えた日本の自立・独立の主張は、高度成長の恩恵に浴した多くの国民にとっては、滑稽なものとしか映らなかったのだろう。

(ちなみに、私自身も三島由紀夫に賛同しているわけでも共感しているわけでもなく、どちらかといえば冷やかな感情をもっているほうである。)

だが、今後、アメリカの従属状態から脱しようという動きが本格化したときには、三島由紀夫の自決行為があらたに解釈しなおされ、再評価されるかもしれない。