倒幕派と佐幕派の戦いで徳川幕府が勝利したならば、日本が世界で最初の社会主義国家になったのではないかというお話

○19世紀中盤の日本の針路

19世紀の中頃、日本には4つの選択肢があった。

1つ目は、徳川体制の下での反近代化路線。

2つ目は、徳川体制の下での近代化路線。

3つ目は、反徳川勢力の下での近代化路線。

4つ目は、反徳川勢力の下での反近代化路線。

 

 もちろん、現実の歴史は3つ目の反徳川勢力の下での近代化路線がとられたわけだが……。

 4つ目の反徳川勢力の下での反近代化路線は、実現する可能性は限りなく低かっただろう。

倒幕派徳川幕府から権力を奪取した理由は、徳川幕府にかわって薩摩藩長州藩が天下を取りたかったわけではなく、徳川体制の下では欧米列強の脅威に対抗することができないと判断したからであり、欧米列強に伍す国家をつくるには西洋文明をとりいれ近代化をすすめることが必須だったのだから、徳川幕府を倒して権力を手にした勢力が反近代化路線をとるという選択肢はありえなかっただろう。

 

 1つ目、2つ目の針路は、佐幕派倒幕派の戦いで徳川幕府が勝利しなければありえなかったわけだが、この戦いで倒幕派が勝利したのは歴史の必然であったのか、それともさまざまな出来事(の偶然)が積み重なってたまたま倒幕派が勝利しただけなのかは、歴史哲学的な考察対象であり、それ自体興味深いテーマではあるが、現在の私にはそのような考察を行えるだけの能力がないので、その件については(現時点では)これ以上深入りしない。

 ただ、徳川幕府の中にも近代化を進めるべきだと考えていた人たちは(少数派であったかもしれないが)いただろうから、佐幕派倒幕派に勝利していたら、2つ目の徳川体制の下での近代化路線がとられていた可能性はあった。(明治政府ほどの根本的な近代化政策はとれなかったとは思うが。)

 

 明治国家を嫌っている人の中には、徳川幕府でも明治政府でもない第三勢力の下での近代化路線を望んだ人もいるかもしれないが、19世紀中盤の時点では、薩長を中心にした倒幕派の他に徳川幕府を倒せる可能性のあった勢力はなかったから、「第三勢力の下での近代化路線」が実現した可能性はゼロに近かっただろう。

 だが、現実の日本近現代史とは異なる歴史を夢想した場合、佐幕派倒幕派に勝利したケースを想定するとさまざまな可能性が浮かんでくる。

 

佐幕派倒幕派に勝利した場合のその後の歴史

 最初に考えなければいけないのは、佐幕派倒幕派に勝利した場合、その後の日本は独立を保つことが出来たのかということだろう。

明治政府の「富国強兵」「殖産興業」路線の下で欧米列強に比肩しうる大国になったから日本は独立を保てたのであって、19世紀中盤以降も徳川体制が続いていたら、日本は欧米列強の植民地になっていただろうと考える人はかなり多いかもしれない。

 だから、これから述べるさまざまな可能性というのは、あくまでも徳川体制の下でも日本が独立を保つことが出来ていたのなら、という前提の下にすぎない。(徳川体制下で西洋文明をとりいれ、富国強兵化した場合。徳川幕府が巧みな外交術を駆使して独立を保った場合、など。)

 

1 倒幕派の再挙兵

 佐幕派に敗れた倒幕派や、その意志(倒幕派が皆、処刑された場合はその遺志)を受け継いだ勢力が再度倒幕運動を起こして、それに成功した場合。

この場合は、実際の歴史より何十年か遅れて、現実におきた出来事と似たような歴史を歩んだかもしれない。

 ただ、近代化の開始が数十年遅れたことが、大きなハンディキャップとなった可能性はある。また、1860年代末に明治国家が誕生しなかったことによって東アジア、そして世界の国際関係に大きな変化(実際の歴史との相違点)がもたらされた可能性があるだろう。

 

2 自由主義勢力による革命

 日本は、1860、70年代に近代的な国民国家づくりをはじめたので、当時のドイツやイタリアと似たような歴史を歩むことになった。

だが、もし徳川体制が1880年代まで続いていたら、その間に西洋諸国から自由主義思想や民主主義思想が流入していただろうから、それらに影響を受けた勢力が主要な倒幕勢力となっていたかもしれない。

19世紀半ばに産業化が進展していたら、西欧におけるブルジョアのような階級が誕生し、唯物史観的な市民革命(ブルジョア革命)がおこっていたかもしれない。

 その場合、天皇・皇室はどのような扱いになっただろうか。

倒幕派に勝利した徳川幕府が、皇室・天皇にどのように対処したかによってかわってくるだろうが、あらたに誕生した倒幕派あるいは革命派は、立憲君主制をめざす勢力と共和制をめざす勢力に分かれただろう。

 

  *補注

 皇室を王室とみなした場合は、天皇を君主とみなして立憲君主制をめざす皇室支持派と、皇室を廃止しようとする共和派が誕生しただろう。

だが、徳川将軍・徳川幕府を国王・王室とみなし、天皇・皇室を西ヨーロッパにおけるローマ教皇・ローマ教会のような存在とみなして、宗教的権威(天皇)の下に権力を集中させた祭政一致の神権国家化をめざす勢力(実際の明治政府はそれに近かったと思うが)、徳川幕府を倒して政治体制は共和制とするが、皇室は宗教団体として存続させる政教分離路線をめざす勢力が誕生していた可能性もある。

 

3 マルクス主義者たちによる革命

 徳川幕府が二十世紀まで存続した場合、その時はマルクス主義アナーキズムの思想が流入してきていて、それに影響を受けた勢力があらたな倒幕勢力となっていただろう。

ロシア革命よりも先に、マルクス主義者たちが徳川幕府を倒して社会主義国家を建設していたら、日本が世界で最初の社会主義国家になっていただろう。

戦後の日本は世界で最も成功した社会主義国家と言われたりもしたから、もしかしたらソ連中華人民共和国よりも成功した社会主義国家になっていたりして……。