国旗と国歌をめぐるオセロゲーム

 国旗と国歌の問題を議論する場合、以下の論点がある。

1 国旗・国歌は必要か。

2 国旗・国歌が必要である場合、日本に相応しい国旗・国歌はどのようなものか。(この論点は、日の丸・君が代を国旗・国歌にすることの妥当性の問題でもある。)

3 国旗の掲揚、国歌の斉唱を国民の義務にすべきか。

4 公務員に対して国旗への敬礼、国歌の斉唱を義務化(強制)することの是非。

5 学校の教職員に対して国旗への敬礼、国歌の斉唱を義務化(強制)することの是非。(この場合、公立学校の教職員は4の公務員のケースに含まれるので、私立学校の教職員に対して義務化することの是非が問われる。)

6 学校の行事の際、国歌の斉唱を義務付ける文部科学省の方針の是非。

 

 戦後の日本では、日の丸・君が代を国旗・国歌とすることの是非をめぐって左右のイデオロギー闘争がおこなわれてきた。

現在では、日の丸・君が代が日本の国旗・国歌であることが法律で定められているので、これに反対する人たちは国会で過半数議席を獲得し、日の丸・君が代に代わるあらたな国旗・国歌を制定する法律をつくればよい。

 また、国旗・国歌が不要であると考える人たちは、やはり国会で過半数以上の議席を獲得し、現在制定されている国旗国歌法を廃止すればよい。

(議会制民主主義を否定している人たちは、武力クーデターで権力を掌握し、自分たちの目的を達成しようと考えているのかもしれないが。)

 

 だが、3から6の論点を議論する場合はちょっとややこしいことになるだろう。

例えば、日の丸・君が代を日本の国旗・国歌にすることに賛成している人の場合、日本の国旗・国歌が日の丸・君が代である限りは、3から6の方針に賛成する。

だが、日本の国旗・国歌が自分たちに受け入れられないものに代わった場合(憲法9条の理念に基づいた国旗・国歌だとか、村山談話に基づいた国旗・国歌が制定された場合)は、3から6の方針に反対するだろう。

(ただし、3の国旗の掲揚・国歌の斉唱の国民の義務化については、右派・保守派の中でも賛成する人は少数派であるかもしれない。)

 一方、現在3から6の方針に反対している人の場合、日本の国旗・国歌が日の丸・君が代以外のものに代わったときは、これらに賛成するかもしれない。

国旗の掲揚・国歌の斉唱の国民の義務化については、賛成する人は少数派だと思うけれども。

 

 日本の国旗・国歌がどのようなものであれ、原理原則として「公務員に対して国旗への敬礼、国歌の斉唱を義務化することに賛成する(または反対する)」、「学校の教職員に対して国旗への敬礼、国歌の斉唱を義務化することに賛成する(または反対する)」、「学校の行事の際、国歌の斉唱を義務付けることに賛成する(または反対する)」人たちは少数派であると予想される。

 学校行事の際、教職員に対して君が代を斉唱することが職務命令され、これに従わなかった教職員が処罰される。このことを当然と考えている人たちも、日の丸・君が代に代わる国旗・国歌が制定されたときには、学校の行事で国歌を斉唱することに反対するかもしれない。

 一方、左翼政権が成立し憲法9条の理念に基づいた新国旗・新国歌が制定された場合、新国旗への敬礼を拒否した自衛隊員が処罰されるなんてことも起こるかもしれない。

 国旗・国歌をめぐる問題は、どうしても左右のイデオロギー対立になりやすく、民主主義的観点からの議論が成立しづらいように思われる。