保守の国・リベラルの国

 

 アメリカのオバマ大統領は就任時だったか、「アメリカは一つ」と発言したが、私は日本は一つである必要はないと思う。

リベラル・デモクラシーの価値観に基づいた憲法が尊重されるのならば、日本が一つであっていい。

 だが、これから10年、20年後には教育勅語が復活し、靖国神社が国家護持され、憲法の内容も明治憲法的なものに改正されそうな気がする。

リベラル・デモクラシーの価値観をもたない右派や保守派に非国民呼ばわりされる位なら、いっそ「保守の国」「リベラルの国」と日本が2つにわかれた方がいい。

 ただし、元々は1つの国であったのだから、北朝鮮と韓国のように紛争状態におちいることは避け、不可侵条約を結ぶ、さらに移民の自由を認める(「保守の国」から「リベラルの国」への、あるいはその逆の国籍変更を容易にする)ことを条件にしてだが。

 「保守の国」は当然、天皇を元首あるいは象徴として祀り上げようとするだろうが、今の天皇陛下は戦前回帰した「保守の国」よりは「リベラルの国」で生活することを望むような気がする。あと皇太子一家も。

(現在の天皇陛下は、「国旗の掲揚・国歌の斉唱は個人の良心の自由に属することであり、強制すべきでない」という現行憲法のリベラル・デモクラシーの理念を尊重している人だからね。)

もっとも、「リベラルの国」が共和政をとるのか象徴天皇制をとるのかは不明だが。

天皇と皇太子は「リベラルの国」、秋篠宮は「保守の国」と皇室が2つにわかれたりして。

 また、「保守の国」は憲法9条などはもたないだろうが、「リベラルの国」が憲法9条・軍隊をどうするのかは問題となるだろう。

現在の日本と同様、憲法9条維持派と改正派の間で論争が生じる可能性がある(武力衝突に発展したりして……)。

 

 人間が社会を形成すると、その中に必ず右寄りの思想の持ち主と左寄りの思想の持ち主があらわれる。

「保守の国」「リベラルの国」もそれぞれ右派と左派が分化するだろう。

「保守右派の国」「保守左派の国」(「リベラル右派の国」「リベラル左派の国」)。

さらに「保守右派・右派の国」「保守右派・左派の国」(以下、同様に続く……)。

社会を思想・価値観に基づいて分裂させていくと、際限なく集団が分化していってしまうだろう。