靖国問題の争点

 本文章は、三土修平氏の『靖国問題の原点』(日本評論社)に影響を受け、三土氏の問題提起を継承する形で執筆しています。

 

○はじめに ― 戦死者の弔い方について

 靖国神社の問題を議論するさいは、「戦死者に国家・政府がどのように対処すべきか」というより大きな問題を考察したうえで論じる必要がある。

「戦死者に国家・政府がどのように対処すべきか」については、大きくわけて3つの立場がある。

 

1 「英霊として顕彰すること」「国家・政府が国家機関(公的機関)で慰霊・追悼すること」ともに反対する立場。

2 「英霊として顕彰すること」には反対するが、「国家・政府が国家機関(公的機関)で慰霊・追悼すること」には賛成する立場。

3 「英霊として顕彰すること」「国家・政府が国家機関(公的機関)で慰霊・追悼すること」ともに賛成する立場。

 

 戦後の日本は、1の「英霊として顕彰すること」「国家・政府が国家機関(公的機関)で慰霊・追悼すること」ともに行わない方針をとっている。

 

  *補注

 3の「英霊として顕彰すること」を支持し、国家神道の復活を唱える人は、政教分離を規定した戦後の憲法は占領軍に押し付けられたものであり、日本人自身が望んで国家神道を否定したわけではないと考えているかもしれない。

アメリカに占領されなかったら、国家神道がそのまま継続した可能性が高く、国民の多数派が国家神道の廃止を選択するということはなかったかもしれない。

だが、戦後のある時期から(いつ頃からか正確なことはわからないが)、政教分離を規定した憲法は国民の多数派に支持されるようになり、国家神道を復活すべきと考える人は少数派になったといえる。

 

 1の方針を続ける場合は、現行憲法の下で靖国神社をどう位置付けるか、総理大臣の靖国神社公式参拝をどう考えるかといった点が論点となる。

 2の方針をとったときは、靖国神社からその宗教性(「国のため、天皇のために命を投げ出して戦死した人を、神・英霊として祀り顕彰する」という宗教性。以下、このような宗教性を「靖国イデオロギー」と表記する。)を剥奪し、靖国神社を戦死者を慰霊・追悼する施設へ根本的に改変したうえで、そこを国家機関(公的機関)とするという案。

靖国神社とは別に、戦死者を慰霊・追悼するあらたな国家施設を設立するという案などが考えられる。

 3の方針をとった場合、靖国神社とは別の施設で顕彰するという考え方もあるが、そのような主張をする人は極少数であり、この方針がとられた場合は政教分離を規定した憲法が改正され、国家神道が復活し、靖国神社で戦死者を神・英霊として祀ることになるだろう。

 

 ここ十数年の間は、総理大臣の靖国参拝に賛成か反対かといった点のみがメディア上で議論されているようにみえる。

だが、総理大臣の靖国参拝をどう考えるかという問題は、「戦死者に国家・政府がどのように対処すべきか」という論点もあわせて考えないと実りのある成果は望めないだろう。

 

靖国問題の争点

 靖国問題の争点には、次の3つのものがある。

1 国家神道の復活に賛成か反対か。

2 靖国神社を国家機関(公的機関)とするべきか。

3 総理大臣の靖国神社公式参拝を合憲とすべきか違憲とすべきか。

 

 靖国神社の問題は、上記3つの論点を個別に論じるよりも、3つの論点に対してどのようなスタンスをとるかを表明したうえで論じたほうが争点が明確になる。

以下、いくつかのタイプを提示し、それぞれどのような問題点があるかを論じていく。

 

タイプA 国家神道復活派

国家神道の復活に賛成

靖国神社を国家機関(公的機関)とする

・総理大臣の靖国神社公式参拝を合憲とする

 

完全な戦前回帰路線。右派・保守派の中でも極右的な立場の人々の考え。

この路線をとる場合は、政教分離を規定した憲法を改正する必要がある。

現時点ではこの路線を支持する人は少数派であり、実現するのは困難であろう。ただ、これから十年、二十年後にはこの路線を支持する人たちが多数派となる可能性もある。

 

なお、完全に戦前回帰した場合は、本人が、死後靖国神社に祀られることを望まない場合、遺族が、戦死した自分の家族が靖国神社に祀られることを望まない場合も、本人や遺族の意向を無視して強制的に靖国神社に祀られることになるが、本人や遺族が靖国神社に祀られることを望まない場合は、その意向を尊重し、本人や遺族が望んだ場合のみ靖国神社に合祀するという、自由主義的な方針をとりいれるケースも考えられる。

 

 

タイプB 靖国神社の根本変革派

国家神道の復活には反対

靖国神社を国家機関(公的機関)とする

・総理大臣の靖国神社公式参拝を合憲とする

 

靖国神社からその宗教性(「靖国イデオロギー」)を剥奪し、戦死者を慰霊・追悼する施設へと根本的に変革したうえで国家機関(公的機関)とする考え。

靖国神社からその宗教性を剥奪した場合でも、これを国家機関にすることが憲法違反になるのなら、憲法改正の手続きが必要となる。

 

 

タイプC 面従腹背路線

・(将来)国家神道を復活すべきと考えている

憲法改正が困難な間は、民間の一宗教法人の地位に甘んじる

・総理大臣の靖国神社公式参拝を合憲とする

 

タイプAの国家神道復活派が、憲法改正が困難な状況のなかでやむを得ずとっている立場。

国家神道を復活すべきと考える国民が多数派となり、憲法改正が可能となったときには、当然タイプAの国家神道復活派となるだろう。

三土修平氏の著作の中で論じられているように、国家神道が復活できなくなるのをおそれて、タイプBの「靖国神社の根本変革路線」に反対し、また、靖国神社以外の国立追悼施設の設立にも反対する立場だろう。

 

 

タイプD 現状維持派

国家神道の復活に反対

靖国神社は民間の宗教法人のままでいい

 

この立場は、総理大臣の靖国神社公式参拝の是非をめぐって2つに分かれる。

 

タイプDの1 総理大臣の靖国神社公式参拝合憲派

 

慰霊・追悼行為として総理大臣が公式参拝することは合憲とすべき、と考える立場。現行憲法でも「総理大臣の靖国公式参拝は合憲である」と考える人と、「現行憲法では違憲となる」、あるいは「裁判で違憲判決のでる可能性がある」ので、憲法改正を行い、違憲判決のでないようにすべき、と考える人にわかれるだろう。

 

タイプDの2 総理大臣の靖国神社公式参拝違憲

 

慰霊・追悼行為であっても、総理大臣の靖国公式参拝違憲とすべき、と考える立場。戦後憲法政教分離の規定を厳格に守るべき、とする立場だろう。

この立場の人が、タイプBの「靖国神社の根本変革」案や、あらたな国立追悼施設の設立案にどのような考えをもっているのかはわからない。

 

 

タイプE 靖国神社廃止派

国家神道の復活に反対

靖国神社は廃止すべき

 

この立場の場合、現に靖国神社に祀られている存在をどうすべきかをめぐって2つの立場にわかれるだろう。

1つは、あらたな追悼施設を設立し、そこに移行するという考え。

もう1つは、あらたな追悼施設は設立せず、現在祀られている存在は宙ぶらりんのままにするという考え。

ただ、この立場の人は、タイプAの「国家神道復活派」よりも数が少ないだろうから、武力クーデターでもおこらない限りこの路線が実現することはないような気がする。

 

○状況分析

 データ・資料等をもっていないので推測でしかないのだが、タイプDの現状維持派が多数派であり、その中で総理大臣の靖国公式参拝の是非をめぐって意見がわかれているというのが現状かもしれない。

 タイプAの国家神道の復活を支持する人たちは、数の上では少数派だが、一定の政治的影響力をもっているために、タイプBの靖国神社の根本変革路線は実現困難となっている(ただし、この方針に反対している人たちは、タイプAの国家神道復活派だけではないかもしれない)。

 また、国家神道の復活に賛成している人は現時点では少数派と思われるので(ただし、この10年位のあいだに数は急増している可能性もある)、国家神道の復活も今すぐには実現しないだろう。(ただし、これから十年、二十年後には実現されるかもしれない。私自身は国家神道の復活には反対の立場だが。)

 

 マスメディアにおいては、3つの争点を総合的に踏まえたうえで靖国問題を議論するということは行われていないので、結局、タイプDの現状維持路線の中で、総理大臣が靖国参拝したときのみ(そして、それに対して外国から非難や抗議がおこったときのみ)、総理大臣の靖国参拝の是非をめぐって賛成派・反対派のやりとりがおこなわれているというのが、ここ数十年間の状況であるように思える。 

 

国家神道復活派の戦略

 国家神道復活派は、「国家神道を復活すべき」という主張は前面にださず(現時点でそのような主張を前面に押し出すと多くの国民から反発を受けるおそれがあるので。もっとも、右派・保守系論壇誌やネット上ではそのような主張を積極的にしているのかもしれないが)、「お国のために命を投げ出して戦死した人たちを総理大臣が公的に慰霊・追悼できないのはおかしい。」という主張を前面に押し出して、総理大臣の靖国参拝賛成派を増やす戦略をとっているといえる。

 もちろん、タイプBの「靖国神社の根本変革路線」をとれば、総理大臣の靖国公式参拝は実現しやすくなるだろうが、国家神道の復活をめざす人たちは、靖国神社の宗教性(「靖国イデオロギー」)を放棄するつもりはないだろう。

 また、総理大臣の靖国参拝を批判している左派の人たちは、タイプBの路線をとった場合でも、総理大臣の公式参拝に反対する可能性もある。

(左派のこうした態度は、若い世代の左派嫌い・右派保守派好きを増やしているだけで、将来の国家神道復活を後押ししているようにしかみえず、国家神道の復活だけはなんとしても阻止したいと考えている私のような立場の人間には歯がゆい思いがある。)

 

国家神道の復活を阻止するためには

 国家神道の復活を阻止するには次の2つの方法が有効だと思える。

 

・1つめの方法

 現行の政教分離を規定した憲法を守るだけではなく、憲法に「国家神道は復活させない」という条文を付け加える。国政選挙の際、「国家神道の復活」に賛成か反対かを争点の1つにし、右派・保守派の政治家たちの考えを明確にさせる。

 国民の多数派が国家神道の復活に反対であった場合、この方針が実現すれば済し崩しに国家神道が復活するという事態は避けられるだろう。もっとも、国民の多数派は実は国家神道の復活に賛成しているというのが実情だったのなら、私の目論見とは逆の結果になるが。

(国民の多数派が国家神道の復活に賛成しているのだったら、遅かれ早かれ国家神道は復活するだろうから、私1人がそれに反対しても無駄だろう。)

 

 なお、国家神道の復活に反対する国民が多数派であり、かつ憲法に「国家神道は復活させない」という条文を追加することが成功した場合、次は総理大臣が慰霊・追悼行為として靖国神社公式参拝することを合憲とすべきか違憲とすべきかという論点が争点となる。

私個人は、慰霊・追悼行為としてだけなら、合憲にしてもかまわないと思うが、国民投票で多数派の意見を決めるべきだろう。

 

・2つめの方法

 今後、戦死者がでる場合に備えて、靖国神社という特定の宗教と関連した施設ではなく、どのような宗教の信者でもこだわりなく訪問できるあらたな追悼施設を設立すべきである。

(私の考えでは、国家神道の復活を阻止するのが目的なので、新しい施設は国立の施設でも民間の施設でもどちらでもいい。)

 あらたな追悼施設を設立する行為は、「日本を戦争のできる国にすることになる」という、護憲平和主義的な立場からこの方針に反対する人たちはかなり多いかもしれない。

ただ、憲法9条を改正せず、集団的自衛権は行使しないという方針を続けた場合でも、外国が日本に武力攻撃を仕掛けてきて、それに応戦した自衛隊員が何人も戦死するという事態もおこりえる。

 戦死者を公的に慰霊・追悼する施設がないという現在のような状況でそのような事態がおきれば、「戦死した自衛隊員を靖国神社に祀るべきだ」「靖国神社に祀るのなら、戦前同様、神・英霊として祀るべきだ」という意見が多数派となり、一気に国家神道が復活してしまうかもしれない。

 もっとも、あらたな追悼施設の設立に反対している人たちにとっては、あらたな追悼施設を設立することも、国家神道の復活と同様に容認できないと考えているのかもしれない。だとしたら、目的が国家神道の復活を阻止するためだとしても、あらたな追悼施設の設立に反対するのは当然かもしれない。

 

 国家神道復活に反対する勢力が、あらたな追悼施設設立に賛成する立場と反対する立場に2分している状況では、近い将来の国家神道復活はますます現実味をおびてくるだろう。

 

靖国問題の論じ方

 靖国問題で一番重要な争点は(賛成派であれ反対派であれ)「国家神道の復活に賛成か反対か」という論点だろう。

靖国神社を国家機関(公的機関)とするべきか」「総理大臣の靖国神社公式参拝を合憲とすべきか違憲とすべきか」という論点での意見も、「国家神道の復活に賛成か反対か」という点をあきらかにしてからでないと主旨が伝わりにくい。

 実際、靖国神社を国家機関にすることに反対している人、総理大臣の靖国公式参拝に反対している人の中には、それらが将来の国家神道復活につながることを危惧して反対している人もいるだろう(そのような人が少数派か多数派かはわからないが)。

国家神道の復活に賛成か反対か」という論点を曖昧にしたまま、総理大臣の靖国参拝に賛成か反対かということを論じた場合、参拝に反対する人が戦死者やその遺族をないがしろにしているとみなされがちになる。

 靖国神社を国家機関にしたいのなら、「靖国イデオロギー」を放棄して憲法政教分離規定と抵触しない形での国家機関化という方法もある。

また、総理大臣の靖国公式参拝違憲とすべき主張も、その眼目は国家神道の否定にあるだろう。国家神道と戦後憲法政教分離規定はあきらかに矛盾した関係にある。(現行憲法政教分離規定自体が、国家神道を否定すること、国家神道の復活を阻止することを主要な目的としてつくられたはずだから。)

 渋々としてではあれ、戦後憲法を受け入れ、民間の一宗教法人として靖国神社は生き残ってきたのだから、現行憲法の下で、総理大臣が違憲の疑いなく靖国神社公式参拝できるようにしたいのなら、「お国のため天皇陛下のために命を捧げた人を、神・英霊として祀り顕彰する」という価値観はあくまでも戦前の価値観であり、戦後の日本はそのような価値観(「靖国イデオロギー」)を否定・放棄して出発したという現実を受け入れ、国家神道の復活などは諦め、靖国神社は「幕末から大東亜戦争期までの死者を慰霊・追悼するための歴史的遺産」としたうえで、宗教とはかかわりなく総理大臣が靖国神社に参拝できるようにすべきだろう。

 

 ○最後に ― 再び戦死者の弔い方ならびに靖国神社のありかたについて

 最後に、個人的な考えも述べながら、戦死者の弔い方、靖国神社の今後のありかたについて考えてみたい。

私個人は、何度も述べてきたように国家神道の復活には絶対反対である。だが、これから数年間のうちには、国家神道復活派と反対派の間で政治闘争、イデオロギー闘争がおきる可能性もある。(私自身は、残念ながら、国家神道復活派が勝利するだろうと悲観している。)

 「戦死者の弔い方」については、当然、戦死者を「英霊として顕彰する」3の方針には反対している。

国民の多数派が、戦死者を「英霊として顕彰すること」にも「国家・政府が国家機関(公的機関)で慰霊・追悼すること」にも反対する1の方針を選ぶのであれば、その方針に反対はしない。

だが、戦死者を「英霊として顕彰すること」には反対するが、「国家・政府が国家機関(公的機関)で慰霊・追悼すること」には賛成する2の方針の方が実現可能性も高く、より良い選択であると思う。

 

 2の方針をとった場合、どの施設で慰霊・追悼するかということが問題となる。これについては3つの考え方がある。

 

1 靖国神社を慰霊・追悼施設とする

 ただし、「英霊として顕彰すること=国家神道の復活」は否定する方針の下で慰霊・追悼施設とするので、この場合は「靖国問題の争点」の節で示した「タイプB・靖国神社の根本変革路線」の形で慰霊・追悼することとなる。 

 

2 あらたな追悼施設を設立

 なお、この方針をとったときも、本人や遺族が国家・政府に慰霊・追悼されることを拒否した場合は、その意志を尊重すべきである。

 あらたな追悼施設を設立した場合、靖国神社をどう位置付けるかが問題となる。私自身の考えは、前節で述べたように「幕末から大東亜戦争期までの死者を慰霊・追悼するための歴史的遺産」として、あらたに戦死者がでても靖国神社に祀るべきではないというものである。

 また、このケース(今後、戦死者が出たときはあらたな追悼施設で慰霊・追悼し、靖国神社には祀らない場合)でも総理大臣の靖国公式参拝違憲とすべきかという論点だが、私自身は合憲にしてかまわないと考えている。ただ、現行憲法下では違憲であるのなら憲法改正をしてからということになる。もちろん、総理大臣の靖国公式参拝はあくまでも違憲とすべきという意見が多数派であるのなら、その意見を尊重すべきである。(総理大臣の靖国公式参拝違憲とすべきという意見は、現時点では少数派かもしれないが。)

 

3 靖国神社・あらたな追悼施設併用説

 靖国神社で慰霊・追悼されることを望んだ場合は靖国神社で、あらたな追悼施設で慰霊・追悼されることを望んだ場合はそちらで、本人・遺族の意向を尊重する方針(本人の意志は、事前に確認しておく必要があるが)。

両方の施設で慰霊・追悼することが可能なら、それを認める場合も想定できる。

 

 私自身は、2のあらたな追悼施設を設立する方針を支持するし、靖国神社は、あらたな死者は祀らず、過去の歴史的遺産とすべきと考えるが。

ただし、「タイプB・靖国神社の根本変革路線」「新たな追悼施設の設立案」に対しては、靖国神社を支持する勢力からの頑迷な抵抗が予想され、実現できるかはわからないだろう。

現実には、私個人の願望に反して、今後十年、二十年位の間に国家神道が復活され、戦死者を「英霊として顕彰する」3の方針がとられる可能性が一番高いような気もするが。