憲法96条問題

 最近では(マスメディア上では)憲法96条問題は論じられなくなったが、数年前、この問題が論じられていた頃、1つだけ疑問に思ったことがあった。

改正派は、「国会議員の過半数の賛成で改正が発議できるようにしよう」と主張していたが、なぜ「国会議員の5分の3以上の賛成で発議できるようにしよう」というような中間的、折衷的な案を出さないのだろうということだった。

 はじめに「過半数の賛成で発議」という主張をつよく押し出しておき、反対の意見が多かったら、最後に「じゃあ、5分の3以上の賛成で発議できるようにしよう」と譲歩すれば、それだったら受け入れられるという意見が多数出てくる、そういう戦略をとっているのかと思っていたが、結局、96条問題自体論議されなくなってしまった。

 

 ○憲法96条問題をめぐるオセロゲーム

 護憲の立場に立つ人たちは、憲法が非民主的なものに改正(改悪と表記した方がいいのかもしれないが)されるのを危惧して96条の改正に反対する人が多かったようにみえる。

 だが、2005年の郵政選挙のような現象が生じて、そのような勢いに乗って憲法の内容が一気に非民主的なものに改正(改悪?)される可能性もある。そうなった時、憲法の内容を再び民主的なものに改正しようとしても、改正に反対する国会議員が常時3分の1以上占めるために改正の発議がされない、という事態もおこりうる。

そうなった時には、現在、96条の改正に反対している人たちの多くが改正を主張し、改正を主張していた人の多くがそれに反対するという逆転現象がおきるかもしれない。

 

○96条問題に関する個人的見解

 私自身は、「国会議員の過半数」ではなく、5分の3以上の賛成で発議できるようにした方がいいと考えている。(過半数での発議だとあまりにも簡単に発議できるので、それには反対している)

といっても、それは現行の憲法を改正したい、改正しやすいようにしたいと考えているからではない。

 1つの理由は、前節で述べたように、96条が現在のままで憲法の内容が非民主的なものに改正されてしまった場合、それを再度民主的なものに改正するのが困難になるからである。

 そしてもう1つの、より大きな理由は、現在のように憲法改正の発議自体が困難である場合、現行憲法を尊重する意志のない政治家たちが、改正の発議すらできないのならと、憲法を無視して自分たちのやりたいことを既成事実化してしまおうとするからである。(もちろん、まともな立憲民主主義国家ならそんなことはおこらないだろうし、またそれを容認するべきではない。だが、日本はまともな立憲民主主義国家とはいえないし、戦後の憲法は既に形骸化してしまっているだろう。)

 改正の発議要件を少し緩和して、(発議されたときは)国民投票で改正の是非を判断し、否決されたならば、その件について憲法を無視して既成事実化するなどという行為は、どんな厚顔無恥な政治家でも行えないだろう。

 ただ、憲法9条に関しては、集団的自衛権の行使が既成事実化されようとしているから、ここでの提案は既に手遅れになってしまったけれども。