侵略戦争と自衛戦争

 日本が1930年代から40年代にかけて行った戦争に対しては、それが自衛戦争だったのか侵略戦争だったのかをめぐって論争が繰り広げられてきた。

だが、自衛戦争侵略戦争をどのように定義するかについて共通した理解がないため、両者の議論がかみあわないことがままある。

 自衛戦争侵略戦争かを論じるさいには、戦争の目的(自衛を目的とした戦争だったのか、侵略を目的とした戦争だったのか)と行為(自衛行為だったのか侵略行為だったのか)について認識を明確にしてから論じるべきだろう。

 

 戦争を目的と行為によって分類すると、次の3つのパターンが考えられる。

1・侵略を目的とした侵略行為としての戦争

2・自衛を目的とした侵略行為としての戦争

3・自衛を目的とした自衛行為としての戦争

 

 日本の行った戦争を自衛戦争だと主張する人は、2のパターンと3のパターンどちらと認識しているのか、一方侵略戦争だと主張する人は、1のパターンと2のパターンどちらと認識しているのかを明確にすべきだろう。

 日中戦争または太平洋戦争を、自衛を目的とした侵略行為としての戦争であると認識している人たちが、一方はこれを自衛戦争だとして擁護、正当化し、もう一方は侵略戦争だとして批判しているケースがみられる。

 

 戦争への評価に関しては、大多数の人は侵略戦争を否定すべきものとみなし、自衛戦争は肯定できるもの、あるいはやむをえないものとみなしている。

侵略戦争自衛戦争かといった論争も、日本の行った戦争を肯定したい人たちがこれを正当化するために自衛戦争だと主張し、否定したい人たちが侵略戦争だと非難しているのが実態といえるだろう。

 だが、極少数の人は自衛戦争であってもやってはいけない、侵略戦争であってもやってもよいと考えている。

 

 ○侵略と自衛の定義

 次に、侵略を目的とした戦争とはどのようなものか、自衛を目的とした戦争とはどのようなものなのかについて考察してみたい。

侵略を目的とした戦争が領土の獲得を目的としたものであることについては、異論は少ないであろう。

また、自衛を目的とした戦争が、他国から武力攻撃をうけた際にこれに対する戦争であることについても異論は少ないだろう。

 意見がわかれるのは、経済危機を脱するために他国の資源、食糧を奪うことを目的とした戦争の場合だろう。

何もしなければ国民が生存できなくなるおそれもあるのだから、この場合は自衛目的だと考える人もいれば、国民の生活を救うことが目的であったとしても、他国の資源や食糧を奪おうとするのだから侵略目的だと考える人もいるだろう。

 

 続いて侵略行為と自衛行為のちがいであるが、自衛行為に関しては目的の時と同様、他国から武力攻撃をうけた際にこれに対して戦う場合は自衛行為といえるだろう。

(私はこのケース以外に自衛行為といえる戦争は思いつかないが、日本の行った戦争が自衛行為の戦争だったと主張する人がいるのならば、なぜ自衛行為だといえるのか説明してほしいものである。)

 一方、侵略行為といえるのは他国を不当に武力攻撃した場合、他国の領土内の資源、食糧などを奪いとった場合だろう。

(なお、目的の場合も行為の場合も自衛の概念を拡大解釈していけば、どのような戦争も自衛戦争だといって正当化できてしまうだろう。)

 

日中戦争・太平洋戦争の評価

 日中戦争、太平洋戦争に対しては、これを、侵略を目的とした侵略行為としての戦争とみなす人と、自衛を目的とした侵略行為としての戦争とみなす人がいる。

この場合、戦争の目的を自衛とみなすことの妥当性がまず問われる。

 経済危機を脱するために他国の領土を侵犯することを自衛だと強弁できるのなら、自衛目的とみなすことはできるだろう。

だが、自衛目的の戦争であったとしても、では経済危機を脱するためなら他国の領土内の資源や食糧を奪いとってもいいのかという問題が生じる。

日本の行った戦争を肯定している人は、目的が自衛なら侵略行為をしてもよいと考え、否定している人は自衛目的であっても侵略行為はすべきでないと考えているといえるだろう。

 

 私自身は、太平洋戦争は自衛目的の侵略行為と解釈することも可能だが、日中戦争は侵略目的の侵略行為とみなすことが妥当であると考える。

ただ私は、他国から武力攻撃をうけた際にこれに対して行う戦争以外は否定する立場をとっているので、太平洋戦争が侵略戦争ではなく自衛戦争であったとしても、これは肯定できないと考えている。

 ただし、経済を維持するのに必要な資源、食糧の大半を輸入に頼っている日本は、1930年代と同じような状況におちいれば、その危機を軍事力の行使によって乗り切るか、それとも不当な軍事力は行使せず、危機的状況が過ぎ去るのを座して待つかという究極の選択をせまられることになるだろう。

だから、この問題を単に過去の歴史認識の問題としてすますことはできないといえる。