進歩史観の2つのバリエーション ― 「折り返し史観」と「螺旋史観」

 進歩史観、といっても人間の社会や歴史が実際に進歩しているわけではなく、人間の社会、歴史が過去から現在まで進歩してきたとする認識や解釈、あるいは人間の社会を将来にむけてより良いものに改良、改革していかなければいけないという規範意識、これらを進歩史観と呼んでいるのにすぎないのであろう。

 また、歴史法則とは、過去に起こった出来事の傾向や特徴を法則と呼んでいるのにすぎないのであろう。

歴史観も歴史法則も人間の観念の産物にすぎず、現実に起こった出来事を分析したり解釈したりする道具、手段にすぎない。

だが、人間の思考は面白いもので、現実の歴史が歴史観や歴史法則に基づいて動いているという倒錯した考えに陥りがちである。

だから、これから示す2つの歴史観も一種の知的遊びにすぎず、現実の歴史がこの歴史観通りに動いていくと主張したいわけではない。

だが、もしかしたらこれから起きるかもしれない(あるいは既に起こっているかもしれない)歴史の変化を表しているかもしれない。

 

○「折り返し史観」

 社会の進歩はある時点で頂点をむかえ、そこからは折り返し地点をすぎるように退行していくという歴史観

「民主主義・資本主義社会」のある時点において歴史の進歩は頂点をむかえる。

 だが、その後資本主義経済の諸矛盾が民主主義システムのもつ良い点を徐々に蝕んでいく。

政治、経済、社会、宗教、様々な分野の上層階層の人間たちが癒着し、利益共同体を形成し、社会から公平、公正、平等といった理念が失われていく。

富裕層が特権階級化し、社会全体が中世的な身分社会へと逆行していく。

世襲化した政治権力者が、やがてはかつての国王のような存在となり、民主政、共和政から君主政へと政治制度も逆行していく。

「力のある者」がより強い力を手に入れ、「富をもつ者」がより多くの富を手にいれるという、前近代的な弱肉強食の世界へと人間社会が退行していくだろうという歴史観

 

○「螺旋史観」

 人間の社会は、螺旋階段を登るようにして2つの段階で進歩する。

人間が欲望に基づいた政治行為をした結果形成された非近代的なあらゆる政治制度。

これらの制度のもつ弊害を解消するために理性、倫理、理念などによって作為的に形成された民主主義的政治制度。ここにおいて一段階目の進歩が達成される。

 しかし、民主主義社会における経済状態は、人間が欲望に基づく経済行為をした結果形成された「経済的戦国社会」ともいうべき資本主義社会であり、非近代的な政治制度がそうであったように多くの弊害を抱えている。

この弊害を解消するために理性、倫理、理念などによってより望ましい経済制度(「民主主義的経済制度」)が形成された時に、二段階目の進歩が達成される。

 かつては資本主義から社会主義への移行を歴史の進歩とみなす人々がいた。

だがこれは、「封建制」から「絶対王政」への移行のようなものにすぎない。

 

政治的戦国社会 → 非近代的政治制度 → 民主主義=資本主義(経済的戦国社会) → 民主主義的経済体制。

 

このような変遷を経て人間社会が進歩していくという歴史観