保守主義について

 図書館で西部邁の本を立ち読みしていたら、保守主義とは穏健的改良主義、漸進主義のことをいうと記述してあった。

保守とは、改革や改良に反対する伝統主義者、守旧派を意味すると思い込んでいたので、穏健な形ではあれ社会の改良に賛成する立場を保守主義というのだと知ってちょっとびっくりした。

 だが、日本で保守派と呼ばれている人で、穏健的改良主義者の意味で保守とされている人は少数派であろう。

大部分の保守派は、伝統主義者、守旧派の意味で保守とされているのではないだろうか。

(ただし、この場合の守るべき伝統とは、江戸時代までの前近代的な伝統ではなく、明治時代、明治国家の伝統であろう。戦後憲法戦後民主主義体制に対して批判的な態度をとり、戦前の明治憲法体制に近いものに回帰しようとする立場だろう。)

 

 コンサバティヴ、コンサバティズムを日本語で保守、保守主義と訳したのは失敗だったのではないだろうか。

日本語の保守という言葉は、私自身がそう思い込んでいたように、改革や改良に反対する伝統主義、守旧派のイメージがつよい。

コンサバティズムの本来の意味である穏健的改良主義をあらわす訳語としては、穏健主義、漸進主義といった言葉を定着させ、伝統主義をあらわす保守主義と区別した方がよかったのではないだろうか。

 コンサバティズムという言葉自体に穏健的改良主義と伝統主義、両方の意味が含まれているのであれば、その訳語に保守主義をあてたのはまちがいとはいえない。

ただ、仮にそうであったとしても、イギリスにおいては伝統主義者たちの政治的影響力はほとんどなく、民主主義、自由主義的価値観を前提とした上で保守と革新、保守とリベラルの対立があったのではないだろうか。

 民主主義、自由主義的価値観が社会的土壌に根づいていない上、それらに批判的な伝統主義者、守旧派が政治的影響力をつよくもっている日本で、コンサバティヴを保守と訳し、穏健派と守旧派が「保守」として一括りにされたのは、日本の政治にとって不幸なことだったといえる。

 コンサバティヴを保守と訳したために、穏健派が守旧派と一緒になり、革新派(急進的改革主義者)に対抗する保守勢力となったのか。

それとも元々日本の穏健派は、革新派よりは守旧派との方が相性がよく、両者が一つの勢力となっていたので、穏健派と守旧派を含む保守という言葉をコンサバティヴの訳語にしたのかはわからない。

 ただ、革新派と共に日本の民主主義化を推し進めるべき立場にあっただろう穏健派が、戦後民主主義に批判的な守旧派と派閥を形成してしまったことが、日本の民主主義化が中途半端なままになってしまった一要因でもあろう。

(戦後、思想言論の世界で主流派となった革新派が、穏健派を保守反動呼ばわりして、彼らを守旧派の側へ追いやってしまったという側面も大きいのだろうけれども。)

 

 戦後の日本では、革新派と穏健派の間に分断線が引かれ、政治の世界では守旧派と穏健派からなる保守派が与党、多数派となり、革新派は政治的影響力をほとんどもてなくなってしまった。

 一方、思想言論の世界では革新派が圧倒的な多数派、主流派となり、保守派が少数派になるという政治の世界とは逆転した現象が生じてしまった。

 穏健派と守旧派を区別して、「革新派・急進的改革主義者」、「穏健派(漸進派)・穏健的改良主義者」、「守旧派・明治伝統主義者」という3つの勢力が、政治の世界でも思想言論の世界でも鼎立する状態が一番望ましかったのではないだろうか。

 3つの立場の人たちが、様々な問題について討議討論を通じて最も良い解決策の合意案を形成する。

そのような行為の積み重ねが、日本を半民主主義状態から民主主義国家へと脱皮させることになったのではないか。

 政治の世界でも思想言論の世界でも、革新派と保守派が互いの主張をぶつけ合うだけのイデオロギー闘争を繰り広げる。

その結果、建設的な合意案は形成されず、数の多い方の意見がゴリ押しされる。

このような状態が長いこと続いてきたために、日本の民主主義がなかなか成熟しないのだろう。