死刑制度と終身刑

 日本で死刑制度が論じられるときは、「死刑制度を廃止すべきか、存置すべきか」といった点のみが論じられているケースが多い。

だが、死刑制度の問題を論じるときは、「終身刑を導入するかしないか」「一番重い刑とその次に重い刑のバランスをどうするか」、これらの点もあわせて考察しないと、実りのある成果は得られないだろう。

 

 一番重い刑(以下「最高刑」と表記)とその次に重い刑(ここでは便宜的に「次刑」という言葉を使用しておく)の組み合わせは、単純に図式化すると以下の4つになる。

1 最高刑=死刑、次刑=終身刑

2 最高刑=死刑、次刑=無期懲役

3 最高刑=終身刑、次刑=無期懲役

4 最高刑=無期懲役

(死刑、終身刑無期懲役以外の刑を、最高刑または最高刑の次に重い刑にするという考えもあるが、議論が繁雑になるのでここでは除外しておいた。)

 

 現在の日本は、2つめの最高刑=死刑・次刑=無期懲役という制度をとっているが、私はこの制度は非常にバランスの悪い制度だと思っている。

無期懲役の場合、15年位刑に服したあと釈放されるケースもあるそうだが、最高刑になった場合は命が奪われるのに、最高刑を免れた場合は実質的に懲役15年程度のケースもあるというのは、刑罰の制度としてはバランスが悪すぎると感じる。

死刑制度を廃止する、しないにかかわらず終身刑を導入して、現行制度のバランスの悪さを改善する必要があると思う。

 

 ただ、終身刑の導入については、死刑以上に残酷な刑罰だという人道的な観点からの反対論だけではなく、経済的(財政的)観点からの反対論も根強くあるだろう。

終身刑が導入された場合、刑務所の数が足りなくなるというケースも考えられるし、終身刑導入によって経費が大幅に増大することもあるかもしれない。行政の担当者からすれば、死刑になって存在そのものがいなくなってくれるか一定の刑期を終えたら刑務所を出て行って欲しいというのが本音なのかもしれない。

 また、死刑制度存置派でかつ終身刑導入反対派の人は、凶悪な殺人事件の犯人は一刻も早く死刑にすべきだ、終身刑を導入して税金で死ぬまで面倒をみるべきではない、と主張する人が多いかもしれない。

人の命にかかわる問題を、お金の面からどうこう言うべきではないという意見もあるかもしれないが、現実に終身刑制度を導入するときには、財政の問題を避けて通るわけにはいかないから、お金の問題が一番の争点になるかもしれない。

 

 終身刑が導入されない場合、死刑制度が存置されるのなら、現行の最高刑=死刑・次刑=無期懲役というバランスの悪い制度がそのまま維持される。(最高刑が死刑、次刑が無期懲役という制度を、バランスが悪いと考えない人もかなりいるのかもしれないが。)

 一方、死刑制度が廃止される場合は、最高刑が無期懲役(または終身刑以下無期懲役以上の最高刑をあらたに制定)ということになり、厳罰化とは逆の方向にむかうことになる。やはり、死刑制度を廃止する、しないにかかわらず終身刑は導入したほうがいいだろう。

 死刑制度を存置したまま終身刑を導入した場合(最高刑=死刑・次刑=終身刑)、今までの死刑判決・無期懲役判決と同様の事件の多くが終身刑となる可能性が高い。いきなり死刑制度を廃止するよりは、当面は死刑・終身刑併用制を導入し、その結果を踏まえた上で最終的に死刑制度を廃止するか存置するかを決めればよいのではないか。

 

 なお、私自身は、裁判で一番重い刑罰がくだされた場合、死刑か終身刑かを囚人が選べるという制度を半分以上は本気で考えている。

死刑になる位なら、刑務所の中ででも生きていたいと思う人は終身刑を選べばいいし、一生刑務所の中で生きていく位なら、死んだ方がましだと思う人は死刑を選べばいいと考える。

 まあ、このような主張は一般には受け入れられないだろうし、特に死刑制度にも終身刑制度にも反対している人は、この意見に対しても強烈な批判を寄せるだろうと想像できる。ただ、無期懲役を最高刑にすべきという主張は、死刑制度廃止以上に受け入れられないのではないかとも考えるが。